城名 猪崎城
住所 〒620-0017
京都府福知山市猪崎城山
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 連郭式平山城
天守構造
築城主 塩見利勝
築城年 天文元年(1532)
主な改修者
主な城主 塩見氏
位置 北緯35度18分28.6秒
東経135度07分58.7秒
【歴史】
猪崎城は、天文元年(1532)横山城主塩見(横山)大膳大夫頼勝の三男塩見利勝により築かれたとされます。塩見氏は信濃源氏小笠原氏から分かれた庶流と伝えられ、南北朝期丹波国天田郡に所領を賜り土着したと伝えられます。

戦国期、塩見氏は守護代内藤氏(丹波八木城主)の支配下にあったと思われますが、永禄8年(1566)守護代内藤宗勝が天田郡に侵攻した氷上郡黒井城主赤井直正に敗れて討死すると、塩見氏は「天田郡馬廻衆」とともに赤井勢に加担し、以後天田郡は赤井氏の支配下に置かれました。

天正3年(1575)、織田信長の命による明智光秀の丹波侵攻が開始されると塩見一族は赤井・波多野氏方に与しましたが、天正7年(1579)8月黒井城が陥落すると横山信房・塩見利勝の籠る横山城は明智勢の攻撃を受けて落城、和久山田城・荒河中山城なども次々落城すると、猪崎城に籠った利勝の嫡子家利は城に火を放ち逃亡したが敵方の将によって討ち取られたという。

【構造】
眼下に由良川・福知山市街地を望む小さな丘の上にあることの猪崎城跡は、今も「猪崎の城山」と呼ばれている中世の山城です。鳥ヶ岳、鬼ヶ城などの山々から、由良川・土師川の合流部近くまで長く伸びた裾野の先端にあります。

城の範囲は、東西150m・南北160mあまりあり、ほぼ円形の丘全域にあたります。

中核部分の主郭(近世城郭でいう本丸)は、東西約45m・南北約50m、さらにこの主郭の北西の隅には櫓台らしき盛土小残っています。主郭から1段下がった周囲三方(北・東・南)には、高さ0.5m〜3.5m程の大きな土塁があり、主郭との間は幅1.5m程の横堀(空堀)となります。通路も兼ね、おそらく武者溜り(非常の際に伏兵を配置するところ)にも利用できるこの空間は、福知山地方では最大の規模を誇っています。さらに、その周辺には約10ヶ所余の曲輪を裾に向かって階段状に附属させています。

これら空堀様式や曲輪の配置形式は、畿内では天文〜永禄年間(1532年〜1569年9に盛んに造られたことから、この猪崎城は、福知山地方では最も新しいタイプの中世城郭の一つと考えることができます。


【感想】
福知山城の北東に見える小高い丘の上にあるのが三段公園の西側にある猪崎城跡になります。
福知山城から徒歩15分程度由良川を渡ってすぐです。
猪崎城は公園としてよく整備されていますが、整備された道よりもちょっと曲輪に登って見れば登城口すぐに東側の段曲輪が見られます。段曲輪を登り詰めるとそこには高さ4,5mほどの土塁に、左側の道から帯曲輪を経由してこの土塁を登るとその裏には見事な横堀が見られます。
本丸からは福知山城を見ることができます。

登城日 2018年11月11日(日)
LINK ニッポン城めぐり-猪崎城-
城主家紋  【三階菱】
(清和源氏小笠原氏流)
塩見氏家紋

                      

                
 探訪

※案内板より(加筆有り)
【猪崎城遠景】
音無瀬橋の上より
【登城口】 【城址碑】
【説明板】 【整備された遊歩道】
この道を行けば西側の曲輪から本丸へと続いている。
【段曲輪】
舗装道の左側には段曲輪がある。
【段曲輪】 【段曲輪】 【曲輪の切岸】
【段曲輪の土塁と横堀】 【段曲輪の削平地】 【土塁】
【段曲輪の切岸と横堀】
写真では分かり辛いが土塁の下には浅くなってはいるが窪みがある。
【段曲輪の横堀】 【段曲輪の横堀】
この横堀から帯曲輪へと続く。
【帯曲輪】 【土塁】 【主郭下北側横堀と土塁】
【主郭下北側横堀と土塁】 【主郭下北側横堀の窪み】 【主郭東側横堀と土塁】
【主郭下東側土塁】 【主郭下南東側横堀と土塁】 【主郭下南東側横堀と主郭へと続く城道】
【主郭跡】 【主郭・櫓台跡】 【主郭から見た北側横堀】
【主郭跡】 【主郭南側】 【主郭下西側の帯曲輪】
【主郭から見た福知山城】 【主郭下南東側横堀と土塁】 【主郭下南東側横堀と土塁】
【帯曲輪東側】 【帯曲輪から見た主郭切岸】 【帯曲輪南東側】
【帯曲輪南側】 【帯曲輪南側】 【帯曲輪南側】
【帯曲輪から見た福知山市内】 【帯曲輪から見た福知山城】 【主郭下北側横堀と土塁】
【福本稲荷大明神】 【西側曲輪】 【西側曲輪からみた福知山城】
【整備された遊歩道から見た切岸】
建物はトイレになります。
【整備された遊歩道から見た切岸】




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