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城名 | 赤穂城(別名:加里屋城、仮屋城、刈屋城、蓼城) | ||
住所 | 〒678-0235 兵庫県赤穂市上仮屋 |
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入場時間 | 休館日:年始年末(12月28日〜1月4日) |
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入場料 |
無料
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指定文化財 | 国指定史跡、国指定名勝 | |||
城郭構造 | 変形輪郭式平城 | |||
天守構造 | 天守台のみ | |||
築城主 | 池田政綱 | |||
築城年 | 寛文元年(1661年) | |||
主な改修者 | 浅野長直、森氏 | |||
主な城主 | 池田氏、浅野氏、永井氏、森氏 | |||
位置 | 北緯34度44分44.41秒 東経134度23分20.34秒 |
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地図 | 1 | 大手門 | ||
2 | 本丸表門 | |||
3 | 厩口門 | |||
4 | 二の丸門跡 | |||
5 | 天守台 | |||
100名城 スタンプ |
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【概要】 関ヶ原合戦後姫路城に入封した池田輝政の二男忠雄は赤穂を領し、出張陣屋を構え、元和元年(1615)輝政の五男政綱は、陣屋を城郭として城持大名の居城とした。これが赤穂城の最初の築城である。 正保2年(1645)池田氏に替わって浅野長直が入城し、城を大改築、13ヵ年を費やし寛文元年(1661)に完成させた。これが2回目の築城である。 忠臣蔵でお馴染みの浅野内匠頭長矩は、長直の孫にあたる。浅野三代の後、一時期永井氏が入城。宝永3年(1706)には備中西江原から森長直が入城し、明治を迎えるまで森氏11代が城主であった。 赤穂城の古写真で見る赤穂城は、森氏によって補修・改築が繰り返された姿である。 【私見】 個人的に忠臣蔵が嫌いなので赤穂城はあまり期待していませんでした。 大手門くぐってすぐに大内内蔵助の屋敷跡があり、大石神社もある。あ〜やっぱり忠臣蔵がメインなのかと思えば、城跡の方に行くに従いそんなことはなく遺構があちらこちらにあり復元作業を行っており、興味を引くものばかりでした。 復元されたらまた訪れたい場所です。 |
スタンプ 設置場所 |
本丸櫓門下 | ||
登城日 | 2009年1月10日(土) | |||
LINK | 赤穂観光協会 | |||
赤穂城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【丸に違い鷹の羽】 (清和源氏土岐氏流) 赤穂浅野家家紋 |
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【鶴 丸】 (清和源氏義家流) 森家家紋 |
【大手門と大手隅櫓】 | 【大手門〜高麗門】 | 【大手門枡形】 二之門は復元されていないがそれらしい跡は復元されている。復元して欲しいですね。 |
【番所跡】 休憩所になっている。 |
【近藤源八宅跡】 三の丸内 |
【大石良雄宅跡〜長屋門】 三の丸内 |
【大石神社】 三の丸内に建立 |
【大石神社〜山門】 | 【大石神社山門脇】 南西の鳥居から入ると両脇に四十七士の石造が立ち並んでいます。 |
【大石神社山門脇】 | 【大石神社拝殿】 | 【大石内蔵助像】 |
【塩屋門付近】 | 【三の丸南側〜南西隅櫓跡】 | 【二の丸外堀】 二の丸と三の丸の間にある堀で、東は清水門側で熊見川に、西は西中門の先で海に開放し、それぞれの開放部にはそれぞれ柵状の施設を設けて船や塵芥の進入を防いでいた。 |
【二の丸門跡】 跡にはかんかん石が置かれている。小石を持って叩くとかんかんと音がするらしい。 |
【二の丸〜北隅櫓台付近】 二の丸門跡付近より二の丸では現在二の丸庭園を復元中。 |
【山鹿素行像】 兵学者・儒学者として高名。承応元年(1652)〜万治3年(1660)の間赤穂藩に千石で召し抱えられ、承応2年には赤穂城築城に参画して二の丸虎口の縄張りを一部変更し、家中に兵法を指南した。 |
【大石頼母助屋敷跡】 大石内蔵助良雄の実の大叔父で二の丸内に屋敷を構えていた。素行もこの屋敷の一角で8年間生活していた。 |
【二の丸の門と塀】 本丸門前 |
【二の丸塀の埋門】 本丸堀沿い |
【二の丸庭園内】 |
【本丸門〜高麗門】 |
【本丸門〜櫓門】 |
【本丸北西〜くつろぎ池泉】 | 【本丸旧水道大瓦管】 | 【石組暗渠排水路】 |
【天守台と大池泉】 | 【刎橋門跡】 本丸側より |
【天守台】 |
【本丸】 天守台より本丸左側、大池泉と本丸御殿跡 |
【本丸】 中央部、本丸御殿跡 |
【本丸】 天守台より本丸右側部、本丸御殿跡 |
【東北隅櫓台】 | 【厩口門跡(台所門)】 | 【東横矢枡形と水堀】 |
【二の丸土塁に転がる石垣】 | 【東仕切門跡】 かつては二の丸を南北に区切る石垣があり、これに小門が東に面して設けられていた。北側には作事小屋が、南側には馬場があった。 |
【刎橋門跡】 二の丸側より |
【二の丸〜米蔵跡】 現在は米蔵風休憩所になっている。 |
【水手門跡】 物資を運んできた船を泊めるための「船着場の雁木」や船を波から守る「突堤(波止場)」など海城の特徴を伝える貴重な施設が復元されている。 |
【水手門跡】 |
【南沖櫓台】 | 【二の丸石垣上】 | 【二の丸南側全景】 花見広場 |
【二の丸遊水池】 | 【西仕切門付近より二の丸庭園】 復元中 |
【東北隅櫓台】 二の丸内より |
【武家屋敷公園の門】 清水門のおさえとして坂田式右衛門(順家老格)の屋敷があったところです。 |
【清水門跡】 川口門と呼ばれた。 門を出ると板橋があり、付近には蔵屋敷(米蔵)、川口番所、御薬煙場があった。 |
【米蔵跡】 |
【東隅櫓台】 | 【三の丸北西枡形外堀跡モニュメント】 | 【塩屋門跡】 赤穂城の搦手門 |
【西隅櫓台】 | 【お船入跡】 城外の施設。浅野時代赤穂藩の船着場。 |
【上下水道モニュメント】 日本三大上下水道の一つ赤穂藩の上下水道。 日本三大といわれるだけあり、街のいたるところに上下水道の跡を見ることができます。 |
【息継ぎの井戸】 早籠で主君刀傷の凶報をもって江戸より駆けつけた際、この井戸で一息ついて大石内蔵助邸へ入ったといわれています。 |
【旧上下水道モニュメント】 | 【旧上下水道モニュメント】 最初に上下水道を整備したのは池田家の代官・垂水半左衛門で慶長19年(1614)〜元和2年(1616)の3年をかけ、高雄の切山隧道を掘り抜いて千種川の水を取水し、道水路を引いて城内にもたらしました。 |
ジャンル:天然穴子料理 店名:一粋 住所:兵庫県赤穂市加里屋南2−8 TEL:0791-45-2488 営業時間:11:00〜15:00,17:00〜21:00 定休日:木曜日 赤穂の名産の天然穴子が食べたくて探したところ、赤穂城大手門近くにあったのがこの一粋です。 お店のおススメが”あなご重 \1,300-”だったので注文すると、お重にぎっしりとのった穴子が香ばしいです。 穴子に山椒をかけてご飯と一緒に食べるとタレの風味があいまってすごく美味しいです。おススメの一品です。 |