城名 | 堀内新宮城(別名:堀内氏屋敷) | |||
住所 | 〒647-0015 和歌山県新宮市千穂1丁目 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 市指定史跡 | |||
城郭構造 | 平城 | |||
天守構造 | − | |||
築城主 | 堀内氏善 | |||
築城年 | 天正初期(1573)頃) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 堀内氏 | |||
位置 | 北緯33度43分35.6秒 東経135度59分08.5秒 |
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【歴史】 天正初期(1573)頃、堀内安房守氏善が築城した。堀内氏は代々熊野新宮別当を務めここに居城し、氏善の時にほぼ牟婁郡全域を支配した。 氏善は、天正13年(1585)豊臣秀吉の紀州征伐の際、秀吉方につき本領を安堵され、天正19年には秀吉から「熊野惣地」に任命された。 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍につき伊勢方面に出兵したが、西軍の敗北により新宮へ戻った。しかし、和歌山城主・桑山一晴に新宮城を攻められ落城し、大里の京(みやこ)城 へ一旦は落ちのびた。 その後、西軍への加担が積極的なものではなかったとして許され、肥後の加藤清正に2千石で仕え、宇土城の城代となり、慶長20年/元和元年(1615)に熊本城で没した。 堀内新宮城跡は、現在、全龍寺となっており、水堀の名残である水路が寺の西側に一部残っている。 【感想】 堀内新宮城とは言うが形状としては堀に囲まれた館。現地の表示されている堀内氏館跡の方がしっくりくるでしょう。 現在は全龍寺になっているため遺構は皆無、入口に説明板と碑があり西側に堀跡が残っていますが、この堀も生活排水路になっているためどぶ臭く、とても堀跡とは見た目思えません。 |
登城日 | 2019年01月14日(月) | ||
LINK | 熊野学の森-堀内氏屋敷跡 | |||
城主家紋 | 【五三の桐】 (熊野別当後裔?) 堀内氏家紋 |
【全龍寺山門】 | 【説明板と城址碑】 | 【城址碑】 | |
【全龍寺庭園】 | 【堀跡】 | 【堀跡】 |