城名 紀伊矢倉城(別名:明神山城)
住所 〒647-0081
和歌山県新宮市新宮
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 丘城
天守構造
築城主 矢倉氏
築城年 鎌倉時代(1185〜1333)
主な改修者
主な城主 矢倉氏
位置 北緯33度43分38.5秒
東経135度59分18.8秒
【歴史】
鎌倉時代(1185〜1333)に標高39mの明神山に矢倉氏が築いたとされる。
矢倉氏は、南朝:延元5年-興国元年/北朝:暦応3年(1340)より熊野別当に代わって熊野三山と熊野一帯を支配した熊野七上綱(七人衆)の
一人で、応永7年(1400)には上洛して宮中より位階を与えられ、長禄2年(1458)京都、鎌倉にも上がっている。

現在、城跡は私有地で立入禁止となっている


【感想】
山全体が私有地になっているため至る所に立入禁止の看板が立っており、中に入ることは出来ません。南側に城の石垣の様なものがあるが、築城時のものではないと思われる。

登城日 2019年01月14日(月)
LINK
城主家紋 

                      

                
 探訪
【紀伊矢倉城・西側】 【紀伊矢倉城・南側】 【紀伊矢倉城・南側】
私有地の立入禁止の看板が建っている。
【紀伊矢倉城・南側に残る石垣】 【紀伊矢倉城遠景】 【紀伊矢倉城遠景】




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