城名 | 今城(別名:今城塚古墳) | |||
住所 | 〒569-1136 大阪府高槻市郡家新町 |
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入場時間 | 今城塚古代歴史館 開館時間:午前10時〜午後5時 (入館は午後4時30分まで) 休業日:毎週月曜日 (祝日の場合はその翌日)、年末年始 |
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入場料 | 無料 | |||
指定文化財 | 国指定史跡(今城塚古墳として) | |||
城郭構造 | 平山城(古墳) | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 織田信長 | |||
築城年 | 永禄11年(1568) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 織田氏 | |||
位置 | 北緯34度50分59.9秒 東経135度35分41.6秒 |
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【歴史】 今城は、永禄11年(1568)に織田信長が摂津の三好氏を攻めたときに今城塚古墳を利用して作られた砦城でした。二重濠に囲まれた砦城は、堅固なものだったでしょう。 今城塚という名称は、戦国時代に城砦として利用されたことに由来し、江戸時代の絵図などにも今城陵(いまきのみささぎ)などと記されています。 今城塚古墳は、今まで信長が砦城を築いた際に形状を破壊されたものとされていたが、発掘等の成果から慶長伏見地震(伏見城が倒壊した際の地震)により地滑りで、墳丘の盛土の多くが内濠へ滑落したことが判明しました。さらには江戸時代以来、内濠の水田化や内堤の土採りなどがすすみ、人の手が加わって本来の形が大きく崩れているところがあります。 【感想】 城としての遺構は、慶長伏見地震の影響もあってか、まったくもって不明。今城塚古墳歴史館の古墳が出来てから現代までの映像で唯一砦として使われていたことが流れる程度でした。 城としてはともかく、古墳としては周囲を散策でき、墳丘の上まで踏み入れることができるのは非常に珍しい。 |
登城日 | 2019年03月03日(日) | ||
LINK | 高槻市-インターネット歴史館 | |||
Wikipedia-今城塚古墳- | ||||
城主家紋 | 【木瓜】 (平氏の子孫か?) 織田氏家紋 |
【外濠西側】 | 【外濠北西部】 | 【内濠を囲む堤】 | |
【内濠北東部】 | 【内濠東側】 | 【今城・墳丘(前方後円墳)】 | |
【儀式の場(北造出)】 | 【後円最上部へ続く階段】 | 【後円最上部】 砦城と使用時に何かしらの建物があったと思われる。 |
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【後円最上部】 | 【後円最上部】 | 【築造当初の姿を残す南西隅部】 | |
【内濠西部】 | 【内濠南西部】 | 【築造当初の姿を残す南西隅部】 |