城名 | 刀根山城 | |||
住所 | 〒560-0044 大阪府豊中市刀根山元町9-21 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 織田信長 | |||
築城年 | 天正6年(1578) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 織田氏 | |||
位置 | 北緯34度47分58.9秒 東経135度27分27.1秒 |
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【歴史】 刀根山城は織田信長が有岡城の荒木村重を討伐するため、天正6年(1578)に刀根山御坊に築きました。 刀根山御坊は本願寺の3代法主・覚如の嫡男・存覚上人のお寺で、織田信長と本願寺が争った石山合戦の時期であることから、攻め落とした寺院を城郭にしたものと思われます。 刀根山城は東西南が急斜面の高地であり、有岡城を常に監視する砦として絶好の立地でした。信長公記によれば城番には稲葉彦六郎(稲葉一鉄の嫡男)、氏家左京亮(氏家卜全の嫡男)、安藤平左衛門(安藤守就の嫡男)が詰めていたとあります。 織田信長は荒木村重が救援を求めて単身城を脱出した翌年9月に、総攻撃を仕掛けて有岡城を攻め落としました。その後の刀根山城については不明です。 現在、城跡には常楽寺と正安寺があり、常楽寺境内の一角に刀根山御坊由緒書の碑があります。 刀根山御坊・常楽寺のあるところで大阪大学豊中学舎と中国自動車道を挟んだ周辺には、現在でも周辺の門口、櫓の下、出口などの地名が残っています。 【感想】 大阪モノレールの柴原駅近く中国自動車道を越えて南側直ぐの丘の上に常楽寺があります。現在は城としての遺構は皆無で、立地上山上で昔は有岡城まで見通しがあったことでしょう。信長もここまで入城して指揮を取っていたそうです。 |
登城日 | 2019年03月09日(土) | ||
LINK | 北大阪急行電鉄株式会社HP〜信長の刀根山城 | |||
城主家紋 | 【木瓜】 (平氏の子孫か?) 織田氏家紋 |
【刀根山城跡(常楽寺(刀根山御坊))】 | 【存覚上人御旧跡碑】 | 【刀根山城跡】 |
【刀根山御坊由緒碑】 | 【刀根山御坊由緒碑】 | 【刀根山城跡】 |