城名 鹿背山城
住所 〒619-0211
京都府木津川市鹿背山字鹿曲田
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 木津太郎英清
築城年 文治4年(1188)頃
主な改修者 松永久秀
主な城主 木津氏、松永氏
位置 北緯34度44分46.3秒
東経135度50分38.3秒
【沿革】
鹿背山城は、文治4年(1188)頃に木津清英によって築かれた。南山城最大の山城であるだけでなく、戦国末期の特徴をよく残す点で城郭史上注目される城郭である。

15世紀に南都興福寺の北方防御の拠点として史料上に登場し、興福寺の仏教施設が置かれ、軍事的施設も強化されて「興福寺の出城」と考えられ、古市氏以下興福寺傘下の武将がしばしば入城した。

応仁(1467年〜1468年)・文明(1469年〜1486年)年間の争乱期には、東西両軍による木津荘の争奪戦が行われ、文明2年には畠山義就に攻められ落城している。

永禄年間(1558年〜1570年)、大和北半部を支配した松永久秀は多聞山・信貴山・龍王山とともに本城を拠点として重視し、改修を加えた。

城域の西北・東南の二か所に畝状空堀群を採用して防御上の弱点を補い、主郭北斜面の水の手をカバーする竪堀・竪土塁で北面防御を完結させたほか、主郭東南隅の櫓台の切岸直下の隘路に通路を導いて城虎口(出入り口)とするなど、織豊城郭登場前夜の築城技術の水準を示す貴重な遺構を残している。


【感想】
南山城最の山城というだけあって城域は広く、堀切や竪堀が随所に見られる。
地元の方の力もありメインコースは非常に見易く整備されている。城域全てを見るとなるとサブコースをすべて回らなければいけないがこちらも整備の手は入っているもののわかりにくいところもあるので縄張図をもって回った方が良い。縄張図は登城口の説明板横のポストにあります。


 登城日 2019年5月12日(日)
LINK 木津の文化財と緑を守る会〜鹿背山城
城主家紋 【蔦】
(出自不詳)
松永氏家紋

                      

探訪

※説明板より(加筆有り)
【西念寺入口】 【鹿背山城指標】 【西念寺】
【西念寺脇の登城口】 【大手道とサブコースの分岐点】
左:サブコース、右:大手道
左手側を進み段曲輪から畝状空堀群へ
【サブコースへ】
【リボンの指標】
ここを登れば・・・道がほぼありません。
【段曲輪】 【段曲輪】
【段曲輪】 【段曲輪】 【段曲輪】
【段曲輪】 【段曲輪】 【段曲輪】
【段曲輪】 【畝状空堀群】 【畝状空堀群】
【畝状空堀群】 【横堀】 【横堀】
【山上に見える堀切】 【山上の堀切】
右は曲輪T-13で左は城域外となる。
【畝状空堀】
指標はあるのだが土塁にしか見えませんでしたが、写真を見るとうっすらわかるかも?
【横堀】 【堀切・土橋】
左:曲輪T-13、右:主郭
横堀から登る道がわからず斜面を直登し、この場所へ。
【堀切】
【土橋】
主郭側より
【土橋】
曲輪T-13側より
【曲輪T-13】
【土塁】 【曲輪T-13】 【土橋】
【堀切】
曲輪T-13を挟んである2つの堀切を合わせて、二重堀切としている。
【この場所は城外となる平場】 【主郭下のサブコース】
ここから主郭下北側を水ノ手へ
【曲輪】 【土塁】 【土塁】
【水ノ手への指標】 【水ノ手】 【井戸跡】
【曲輪T-9】 【曲輪T-9から見た堀切】 【堀切】
【堀切と竪堀】 【竪堀】 【堀切】
ここも曲輪を挟んで堀切があり、二重堀基となっている
【水ノ手の主郭への指標】 【曲輪T-6】 【曲輪T-6の土塁】
【主郭虎口(搦手側)】 【主郭西側櫓跡】 【主郭内の城道】
【主郭土塁】 【土塁越の景色】 【主郭からの眺望】
【主郭跡】 【城址碑】 【主郭枡形虎口】
【主郭土塁】 【主郭跡】 【主郭枡形虎口】
【主郭東側櫓跡】 【曲輪T-2】 【城虎口】
【主郭東側堀切】 【堀切から続く竪堀】 【主郭東側堀切】
【曲輪U-7】 【曲輪U-7】 【曲輪Uへの指標】
【曲輪U-2】 【曲輪U跡】 【曲輪U跡】
【曲輪U-5】 【曲輪Uの切岸】 【竪堀と竪土塁】
【曲輪V西側下の堀切】 【竪堀と竪土塁】 【曲輪V跡】
【曲輪V跡】 【曲輪U-3】 【曲輪U-3・4】
【曲輪U-4】 【曲輪U-4】 【主郭切岸】
【大手道横のため池と竪堀】 【竪堀】 【大手道】




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