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城名 | 勝龍寺城(別名:小竜寺城城) | ||
住所 | 〒614-0836 京都府長岡京市勝竜寺13番1号 |
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入場時間 | 4月〜10月 9時〜18時 11月〜3月 9時〜17時 休園日:毎週火曜日、年始年末(12月28日〜1月4日) |
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入場料 |
無料
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指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 梯郭式平城 | |||
天守構造 | 天守に相当する高層建築物が存在していた | |||
築城主 | 細川頼春 | |||
築城年 | 暦応2年(1339) | |||
主な改修者 | 細川藤孝 | |||
主な城主 | 細川氏、永井氏 | |||
位置 | 北緯34度55分5.21秒 東経135度42分2.49秒 |
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地図 | 1 | 北東隅櫓(模擬) | ||
2 | 北門(虎口) | |||
3 | 沼田丸 | |||
4 | 本丸と沼田丸の土塁 | |||
5 | 神足神社の空堀と土塁 | |||
【概要】 この城は、暦応2年(1339)に細川頼春が京都に進出してくる南朝方に対抗するため、北朝(足利尊氏)方の前線基地として築いたといわれ、京都盆地の南西部を防衛する要所にありました。 応仁・文明の乱(1467〜)では西岡地方における西軍(畠山義就)の拠点となり、戦国時代になると、永録11年(1568)に織田信長が上洛し西岡一帯を攻略し、細川藤孝(のちの幽斎)に城が与えられ、堅固な城に改修しました。天正10年(1582)の山崎の合戦では明智光秀が本拠としたが、落城しました。 ところで、この城は天正6年(1578)に光秀の娘玉(後の細川ガラシャ)が16歳で長男忠興のもとに輿入れしたところで、歴史とロマンを秘めた城として全国的に知られています。 城の中心部は本丸と沼田丸に分かれ、外郭施設ニは城の北側を守るための土塁跡や空堀跡が神足神社周辺に今も残っています。 【私見】 本丸は遺構が残っていないためか模擬で櫓や門が復元されている。 城から長岡京駅に向かう途中に神足神社がありますので、そちらも是非お寄り下さい。細川時代の空堀と土塁を見ることができます。 |
登城日 | 2009年2月26日(木) | ||
LINK | 長岡京市公式HP | |||
勝龍寺城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【九曜】 (清和源氏足利氏流) 細川家(上守護家)家紋 |
【北東隅櫓(模擬)】 |
【南門と模擬櫓(管理棟)】 | 【南門入口】 明智光秀の娘、玉(ガラシャ)がお輿入れした城 |
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【南門入口の石塔】 | 【南門】 | 【細川忠興とガラシャ像】 | |
【東辺土塁と模擬塀】 昔は櫓と繋がった多聞櫓があったと思われる。 |
【北東隅櫓(休憩所)】 内側は休憩所になっている。 |
【本丸全景】 | |
【本丸の井戸】 | 【ガラシャおもかげの水】 | 【北側通用口の模擬冠木門】 | |
【北側虎口】 | 【北側虎口にある転用石】 | 【北側虎口(北門)】 | |
【北門全景】 | 【本丸と沼田丸を隔てる土塁】 | 【土塁上南側】 昔はここに櫓があったと思われる。 |
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【土塁上北側】 | 【本丸の模擬冠木門】 |
【沼田丸側土塁】 |
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【沼田丸側土塁】 | 【沼田丸側土塁】 |
【沼田丸全景】 | |
【細川時代の空堀】 | 【細川時代の空堀と土塁】 | 【細川時代土塁上】 | |
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【土塁上の南一稲荷大明神社】 | − | − |