城名 | 福知山城(別名:臥龍城) | |||
住所 | 〒620-0035 京都府福知山市字内記5番地 |
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入場時間 | 午前9時〜午後5時(入館は午後4時半まで) 休館日:毎週火曜日、年始年末(12/28〜12/31、1/4〜1/6) |
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入場料 |
大人320円、小人100円
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指定文化財 | 福知山市史跡 | |||
城郭構造 | 連郭式平山城 | |||
天守構造 | 複合・連結式望楼型(1699年築) 現在:外観復元(1985年再) |
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築城主 | 明智光秀 | |||
築城年 | 天正7年(1579) | |||
主な改修者 | 有馬豊氏 | |||
主な城主 | 明智氏、朽木氏 | |||
位置 | 北緯35度17分48.5秒 東経135度7分46.8秒 |
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【概要】 福知山城は天正年間明智光秀の縄張りと伝えられ慶長年間にいたり近世城郭として完成しました。 明治の廃城後わずかに残された本丸に多くの皆様の協力により大天守閣、続櫓、小天守閣が再建されました。 石垣は、築城当初の面影を残すもので、野面積み、乱石積み、穴太積みなどと呼ばれる、自然石をそのまま用いた豪放なもので、福知山市の指定文化財となっています。 一見乱雑に見えますが、石材は奥に長く用いられて、強固な石垣が組み上げられています。 石垣内部に石塔類が使われるなど、安土城や二条城など織田信長にかかわるお城に共通する特徴を持っています。 深さ50m(城郭内湛水井としては日本一の深井戸)の「豊磐(とよいわ)の井」は、今も海抜30mの高さまで清らかな水をたたえています。 天守閣内部は郷土資料館として公開し、古代から近代にかけての、城や福知山にかかわる歴史資料を展示しています。 【私見】 天守の側面が板張りになているのが特徴、石垣に転用石が多く使用されている。 福知山市役所の裏手に伯耆丸公園がある、ここから天守が正面に見えます。伯耆丸公園も城址の一つと思われる。 |
100名城 スタンプ |
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スタンプ 設置場所 |
・福知山市郷土史料館(福知山城)入口受付 ・福知山駅観光案内所(JR福知山駅北口) |
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登城日 | 一回目:2009年2月28日(土) 二回目:2016年3月21日(月) 三回目:2018年11月11日(日) |
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LINK | 福知山市オフィシャルページ | |||
福知山城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【桔梗】 (清和源氏土岐氏流) 明智家家紋 |
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【隅立四つ目結】 (宇多源氏佐々木氏流) 朽木家家紋 |
【天守閣】 福知山城西側道路より |
【本丸石垣】 福知山城西側道路より |
【隅櫓・多聞櫓風福知山市佐藤太清記念美術館】 | |
【昇龍橋越しの天守】 | 【昇龍橋】 | 【本丸石垣と天守】 | |
【福知山市佐藤太清記念美術館入口】 | 【登城道】 | 【福知山市佐藤太清記念美術館と昇龍橋】 | |
【本丸石垣と釣鐘門】 | 【天守】 | 【天守石垣】 | |
【天守石垣の転用石】 | 【天守石垣の転用石】 | 【銅門番所】 ニの丸の登城路にあった銅門の番所は、大正年間に天守台に移され、天守閣の再建に伴い再び本丸に移転されました。 |
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【本丸北門】 | 【福知山天守鯱瓦】 | 【天守】 | |
【豊磐の井】 本丸、天守の東側にある井戸は、直径2.5m。50mの深さは日本一を誇ります。 |
【豊磐の井】 今も清らかな水をたたえています。 |
【鉄砲石】 鉄砲の名手牧重郎左衛門の技量を後世に伝えるため城主松平忠房が建てた記念碑。 |
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【釣鐘門】 | 【釣鐘門】 | 【朝暉(あさひ)神社】 朽木分家始祖朽木稙綱を奉る神社です。 |
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【天守台の埋門】 | 【天守眺望(北側)】 | 【天守眺望(東側)】 伯耆丸公園が見える。 |
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【天守最上部】 | 【小天守と大天守】 | 【本丸北門】 | |
【転用石】 | 【小天守と大天守】 | 【内榎原門跡】 内榎原門は丸の内と呼ばれた城郭域への西側の出入口として、主に武家屋敷からの通用に利用されていました。門を入った南側には藩の牢屋、北には大善丸・藩校惇明館がありました。 |
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【内榎原門跡】 | 【由良川と福知山城】 音無瀬橋上より |
【福知山城】 音無瀬橋上より |
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【福知山線から見た福知山城】 | 【福知山市役所より見た福知山城】 | 【福知山市役所付近より見た福知山城】 | |
【城址碑】 | 【駐車場より見た福知山城】 | 【佐藤太清記念美術館】 | |
【天守】 | 【本丸北門下】 | 【本丸石垣】 |