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城名 | 大和郡山城(別名:冠山城) | ||
住所 | 〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町 |
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入場時間 | 柳沢文庫 午前9時〜午後4時30分 休館日:月曜・祝日 |
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入場料 |
一般300円、学生200円
※蔵書閲覧は無料 |
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指定文化財 | 奈良県史跡 | |||
城郭構造 | 輪郭式平山城 | |||
天守構造 | 不明 | |||
築城主 | 筒井順慶 | |||
築城年 | 天正8年(1580年) | |||
主な改修者 | 羽柴秀長、増田長盛 | |||
主な城主 | 筒井氏、豊臣氏、増田氏、水野氏、柳沢氏 | |||
位置 | 北緯34度39分6.9秒 東経135度46分44.18秒 |
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地図 | 1 | 天守台 | ||
2 | 追手門(梅林門) | |||
3 | 追手向櫓(追手先艮角櫓) | |||
4 | 追手東隅櫓(法印斜曲輪巽角櫓) | |||
5 | 二の丸 | |||
続日本100名城 スタンプ |
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【概要】 戦国時代の郡山氏域では、「郡山衆」と呼ばれる士豪たちが館を構えて勢力争いを繰り広げていました。その後、織田信長の支援により大和武士の棟梁となった筒井順慶が、筒井城から郡山に入り、郡山城の築城と、城下町の整備にとりかかりました。これが郡山城の始まりです。 しかし、順慶は志半ばで亡くなり、その陽子の定次も伊賀国に移されました。その後には、天下人豊臣秀吉の弟秀長が大和・紀伊・和泉で百万石を与えられ入りました。郡山が大阪城を守るための重要な土地だったこともあり本格的な近世城郭づくりを進め大和でもっとも大規模な城郭で、近世期には、水野家、松平家、本多家、柳澤家の居城となりました。 城郭は徐々に整備されましたが、早くも豊臣秀長の時代にほぼ完成し、増田長盛の外堀普請によって城郭の規模が定まったとされています。すなわち、郡山城は内堀、中堀、外堀という三重の堀に囲まれた惣堀の構えを持つものであり、この中に城郭の中心部や武家地、城下町が配置されたのでした。 県の史跡に指定されているのは、天守郭、毘沙門郭、法印郭などの城郭中心部で、内堀や石垣が良好に残っています。近年、門や櫓などが復元され、往時の威容が復元されつつあります。散策道も整備されています。 【私見】 様々な郭に分かれておりその箇所ごとに石垣が残っている。また、櫓も復元されており見どころは多い。城郭を一周すると堀も見ることができる。毘沙門郭にある柳沢文庫は城に関する資料があるので立ち寄ることをお勧めします。スタンプもここに置かれていますよ。 また、蔵書も閲覧室で見ることも可能なのでゆったりできます。 天守台の石垣が修復され、それと共に本丸も整備され石垣は見易くなりましたが、あまりにも整備され過ぎ感があり、昔の方がよかった様な気がします。 |
スタンプ 設置場所 |
柳沢文庫 | ||
登城日 | 一回目:2009年3月1日(土) 二回目:2018年5月5日(土) |
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LINK | 大和郡山城ばーずあい | |||
大和郡山城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【梅鉢】 (藤原姓?) 筒井家家紋 |
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【五七の桐】 豊臣家家紋 |
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【四つ花菱】 (武田氏一族) 柳沢家家紋 |