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城名 | 平城宮 | ||
住所 | 〒630-8003 奈良県奈良市佐紀町(資料館住所) |
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入場時間 | 公開施設 午前9時〜午後4時30分(入場午後4時まで) 休館日:月曜日(月曜休日の時は火曜日)、年始年末 |
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入場料 |
無料
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指定文化財 | 世界文化遺産、国特別史跡 | |||
城郭構造 | 都城 | |||
築城年 | 和銅3年(710) | |||
築城主 | 元明天皇 | |||
位置 | 北緯34度41分26秒 東経135度47分40秒 |
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地図 | 1 | 朱雀門 | ||
2 | 兵部省跡 | |||
3 | 式部省跡 | |||
4 | 東院庭園 | |||
5 | 内裏跡 | |||
【沿革】 ・平城京 和銅3年(710)、奈良盆地の北端に造られた平城京が新しい都と定められました。元明天皇が律令制に基づいた政治を行う中心地として、飛鳥に近い藤原京から都を移したのです。中国・唐の長安城などを模範とした都をつくることは、当時の東アジアの中で国の威厳を示す意味もありました。 その後、聖武天皇は740年から745年まで、都を転々と移しますが、745年には再び平城京を都としました。そして長岡京に都が移る784年までのあいだ、奈良の地が都として栄えたのです。この時期を奈良時代といいます。 平城京のメインストリートは、京の南門である羅城門から北にまっすぐにのびる幅約74mの朱雀大路です。朱雀大路をはさんで西側を右京、東側を左京といいます。左京には北の方で東にさらに張り出しがありました。平城京は大小の直線道路によって碁盤の目のように整然と区画された宅地に分けられています。平城京の住民は4〜5万人とも10万人ともいわれますが、天皇、皇族や貴族はごく少数の百数十人程度で、大多数は下級役人や一般庶民たちでした。 ・平城宮 平城宮・朱雀大路の北端には朱雀門がそびえていました。朱雀門をくぐると天皇の住居であり政治や国家的儀式を行う平城宮です。平城宮の周囲には大垣がめぐり、朱雀門をはじめ12の門がありました。 平城宮の内部にはいくつかの区画があります。政治・儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇の住まいである内裏、役所の日常的業務を行う曹司、宴会を行う庭園などです。その中でも政治・儀式の場は、都が一時離れた時期を境にして、奈良時代の前半と後半で大きな変化がありました。奈良時代前半に、朱雀門の真北にあった大極殿(通称、第一次大極殿)が、奈良時代後半になると東側の区画に建てられたのです(通称、第二次大極殿)。これに対して、内裏は、奈良時代を通じて同じ場所にありました。 【感想】 歴史の教科書では知っている程度の場所ですが、やはり広大な場所で平城遷都1300年祭に向けて復元作業が進んでいます。ただ敷地が広大なので目的地に行くのに1kmとか離れているのが難。 幅広い年代の人が観光に来るのなら周遊バスとか必要かも知れませんね。 |
登城日 | 2009年4月18日(土) | ||
LINK | 平城遷都1300年祭 | |||
世界文化遺産−平城京 | ||||
奈良文化財研究所 | ||||
その他 |
平城京全体図 | |||
平城宮MAP | |||
【第一次朝堂院跡と復元中の第一次大極殿】 | 【平城宮跡内を横切る近鉄奈良線】 | 【朱雀門】 | |
【世界文化遺産碑と朱雀門】 平城京の正門 |
【朱雀門】 | 【兵部省】 奈良時代の防衛省。道路で分断されています。 |
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【壬生門跡】 朱雀門の右隣に位置する。 |
【壬生門跡】 | 【式部省】 奈良時代の人事院。 |
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【東院庭園外側】 | 【小子部門跡】 | 【小子部門跡から見た朱雀門】 | |
【建部門】 | 【東院庭園入口】 | 【東院庭園】 宴会の行われた美しい庭園を復元。 |
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【隅楼】 | 【隅楼の鳳凰】 | 【舞台】 | |
【東院庭園】 | 【舞台】 | 【隅楼】 | |
【宮内省】 | 【宮内省】 | 【第一次大極殿復元模型】 遺構展示館内に展示。 |
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【内裏復元模型】 遺構展示館内に展示。 |
【発掘された遺跡】 遺構展示館内に展示。 |
【内裏跡】 植わっている柘植の木は柱の跡になている。 |
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【第二次大極殿跡】 | 【内裏全景】 第二次大極殿跡より |
【第二次大極殿跡】 | |
【第二次朝堂院跡】 第二次大極殿跡から南側の眺望 |
【第一次大局殿復元作業場所】 | 【佐伯門跡】 |