powered by 地図Z | 城名 | 水口城(別名:碧水城) | ||
住所 | 〒528-0023 滋賀県甲賀市水口町本丸 |
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入場時間 | 水口城史料館 午前10時〜午後5時 休館日:木、金曜日、年始年末 |
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入場料 |
大人:100円、小・中学生50円
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指定文化財 | 滋賀県史跡 | |||
城郭構造 | 梯郭式平城 | |||
天守構造 | 不明 | |||
築城主 | 徳川家光 | |||
築城年 | 寛永11年(1634年) | |||
主な改修者 | 小堀遠州 | |||
主な城主 | 加藤氏 | |||
位置 | 北緯34度58分13.7秒 東経136度9分52.17秒 |
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地図 | 1 | 矢倉(水口城史料館) | ||
2 | 木橋 | |||
3 | 出丸 | |||
4 | 本丸跡 | |||
5 | 堀 | |||
【沿革】 水口城は、寛永11年(1634)徳川三代家光が上洛するのに伴い、宿館として築城された。工事は小堀遠州らの作業奉行のもと、幕府直営で行われた。 構造は平城で、堀に囲まれた本丸とその北側の二の丸からなる。本丸はほぼ正方形で東に出丸をもち、御殿と四隅に櫓を配しする。二の丸には管理・警護施設が設けられた。本丸殿舎の建物構成は二条城に類似し、数奇を凝らしたものといわれている。堀には注水坑はなく、今も水の涸れることがないことなどから、別名碧水城と呼ばれている。 家光上洛後は番城として幕府の管理下に置かれ、天和2年(1682)に加藤氏が入封して水口藩が成立し、その居城となる。なお、本丸殿舎は正徳年間(1711〜1716)に撤去されたようである。 明治維新後は廃城となるが、堀や石垣はよく形状をとどめている。近年、出丸部分の修景が行われた。 【感想】 堀と石垣は残るものの大半は売却されてしまい残っていない。写真の枚数からもあまり見る個所がないことが分かると思う。資料館も開くのが遅いのが難。 |
登城日 | 2009年9月21日(月) | ||
LINK | 水口城-水口町観光協会 | |||
水口城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【下がり藤】 (藤原氏利仁流) 加藤家家紋 |
【矢倉(模擬)】 矢倉内は水口城史料館になっている。 現在残っているのは出丸部分でこの個所に矢倉はなかった。 |
【矢倉・木橋】 | 【出丸入口】 | |
【木橋】 | 【堀と石垣】 | 【土塀】 | |
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【矢倉(水口城史料館)】 訪れた時間が開城前だったため、矢狭間よりカメラを入れて撮影。 |
【本丸跡】 現在は水口高校の校庭となっている。 |
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