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※地図上のマーク、線はおおよその位置を示したものです。
城名 水口岡山城(別名:水口古城)
住所 〒528-0005
滋賀県甲賀市水口町水口
入場時間
入場料
無料
指定文化財 史跡
城郭構造 連郭式山城
天守構造 2層天守(非現存)
築城主 中村一氏
築城年 天正13年(1585)
主な改修者
主な城主 中村氏、増田氏、長束氏、(石田氏?)
位置 北緯34度58分13秒
東経136度10分50秒
地図 石垣
食違い虎口
主曲輪
空堀
堀切
【沿革】
水口市街北側に、椀を伏せたような姿を見せる大岡山(古城山 標高282m)に築かれた豊臣期城郭の跡。天正13年(1585)、羽柴(豊臣)秀吉が、甲賀郡と蒲生郡の一部を支配させるため、家臣の中村一氏に命じて築かせた山城で、当時は水口城と呼ばれた。
天正18年中村一氏の駿河転封の後には増田長盛が、文禄4年(1595)には長束正家と、五奉行の一員が城主にあてられていることは注目される。慶長5年(1600)の関が原合戦に際し、正家が西軍に同調したため、築城後池田長吉らに攻められ落城した。

江戸時代、寛永11年(1634)の新しい水口城(将軍家御茶屋御殿)の築城に際し、石材を転用したと伝えられるが、これを裏付けるように、遺構は判然としないところが多く、石垣もわずかに残るのみである。
曲輪は山頂および中腹に配置されており、これを区画する堀切や竪堀の跡が認められる。山頂部に連続して配置される曲輪には一部に石垣が残り、その下部には長大な帯曲輪が存在する。
城のあった当時は、山頂部に高石垣を巡らし、瓦葺の諸建物が連立して周囲を威圧したと思われる。
なお、建物に葺かれた瓦の意匠には、安土城の瓦を起源とする、織田・豊臣系瓦の特色が見える。
わずか15年の歴史ではあったが、山麓市街地はこの城下町として整備されたと考えられ、水口が近世以降甲賀郡の中心的地位を獲得したことに大きな影響を与えた。

この水口岡山城には、もう一人城主がいたかもしれません。それは石田三成。この水口城(当時はこちらが水口城)の城主の時に島左近を召し抱えたということです。ただ、石田三成が岡山城の城主であったという記録は残っていないそうです。
三成が水口城主になっていないとすれば”三成が島左近に俸禄の半分を与え召し抱えた。”というエピソードは史実ではないかもしれません。


【感想】
下草は刈られてはいるものの城郭としての整備は、あまりされていないと言ったほうがよいでしょう。せめて曲輪を説明する碑でもあればいいのですが、残念です。
主曲輪でであった地元の方曰く、整備はしたいそうですが予算が厳しいらしいです。
 
登城日 2009年9月21日(月)
 LINK 滋賀県観光情報
甲賀市観光ガイド
水口岡山城-Wikipedia
城主家紋 【立沢瀉】
(桓武平氏良文流 [異説多し] )
(近江)中村家家紋
【花 菱】
(清和源氏武田氏族)
長束家家紋

                      

 探訪
【大岡山】
水口岡山城のある山で通称は古城山と言われてます。資料では”だいこうやま”とか”おおおかやま”と書かれていて正式名がわかりません。だいこうやまなら”水口こうやま城”となりそうですが・・・
【登城口と岡山城址碑】 【舗装路を進むと着く公園】
途中で二股に分かれていますので注意。
右に進むとここに出ます。ここから上へ行く道がわからなくなる。
【忠魂碑】
散歩している方に聞いてわかりました。公園にあるこの忠魂碑の脇に上へ行く道があります。
散歩の方が居て助かりました。
【登城道】 【曲輪】
何曲輪かは不明。
【曲輪】
この部分は、五の丸?比較的大きな曲輪で”緑陰のお花畑”となっている。
【主曲輪に向かう登城道】 【石垣見学コース入口】
曲輪と主曲輪の間に堀切があり、そこから僅かに残る石垣を見ることのできるコースがある。
【主曲輪の石垣】 【主曲輪の石垣】 【食違い虎口】
石垣見学コースの途中に主曲輪に通じる虎口を発見。
この虎口は規模は小さいが食い違いになっている。
【主曲輪】
主曲輪の西側入口。主曲輪は現在”展望広場”となっている。
【主曲輪からの眺望】
木が邪魔しているが、水口町を見渡せる。写真には写っていないが水口城も見える。
【阿迦之宮】
阿迦宮は古城山の守り神、水口町全町民の守り神として、あわせて、悲運の城主長束正家(三代城主)の霊を祠るようになった。
【主曲輪】 【主曲輪にある書類ケース】
この書類ケースの中に水口岡山城のパンフレットが…残念ながら入ってなかった。水口城の観光案内などはありましたが。なくなったら入れといて欲しいです。
【主曲輪の石垣】
主曲輪と二の曲輪との間にある石垣見学コースから見ることができる。先に見た石垣の下部分になる。先に見たときはこの石垣の上にいたことになります。
【空堀】
主曲輪と二の曲輪の間の空堀。
【二の曲輪】
現在は”リフレッシュの園”となっている。
【二の曲輪】
【二の曲輪kら見た三の曲輪】
二の曲輪と三の曲輪の間には堀切がある。昔はここに橋があったようだが腐ってしまったのだろう、今は柵のみとなっている。看板の”山の橋”だけが往時を語っている。
【堀切】
二の曲輪と三の曲輪の間にある堀切。
【三の曲輪】
現在は”お祭り広場”となっている。東側の看板は壊れている。
【四の曲輪】
三の曲輪から四の曲輪には段差があり、滑り台が設けられていたが、整備不十分で使用禁止に。
【四の曲輪】
現在は、”こどもの国”となっている。いまはその面影もないが・・・
【麓にある新池】
堀の名残かは不明。




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