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※印や赤い線は大体の位置を示しています。
城名 観音寺城(別名:佐々木城)
住所 〒521-1342
滋賀県蒲生郡安土町石寺ほか
入城時間 観音正寺:午前9時〜午後4時30分
桑實寺 :午前9時〜午後5時
入場料 無料(ただし桑實寺通る場合は入山料300円が必要)
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 連梯式山城
天守構造 なし(屋形2階)
築城主 六角氏頼
築城年 応仁・文明年間(1467〜1487)
主な改修者 佐々木六角氏
主な城主 佐々木六角氏
位置 北緯35度8分43.6秒
東経136度9分46.55秒
地図 淡路丸(布施氏屋敷跡)
本丸
平井丸(平井氏屋形跡)
落合丸(落合氏屋敷跡)
池田丸(池田氏屋敷跡)
100名城
スタンプ
【沿革】
観音寺城は、標高432.9m、南北に伸びる繖山(きぬがさやま)の山上に築かれた近江守護佐々木六角氏の本城であって中世の代表的な大山城である。

築城は永い年月を経て応仁2年(1468)に完成し、さらに弘治年間鉄砲に備えて大々的に石塁が改修されている。繖山の南腹の斜面に曲輪を展開、家臣や国人領主の屋敷が配された。総石垣で安土城以前の中世城郭においては特異な点とされる。天文年間には城下町・石寺も置かれ、楽市が行われていた。

永禄11年9月織田信長は当城に入城したが城は元のまま残し、佐々木氏に守らせたが天正10年安土城とともに滅亡した。昭和44・45年近江風土記の丘の関連として本丸付近を整備し発掘調査し当時の遺物や遺構が発見された。なお全山いたるところに昔を偲ぶ遺構が数多く残っている。

【感想】
一度訪れたときには桑實寺の石段で挫折してしまった、観音寺城。今回はタクシーで楽しちゃいました。
観音正寺の参道には途中にも曲輪などがあり楽しめます。参道から山上まで登り、奥の院を上から下りてきて見たので良かったです。参道側からだったら登らなかったでしょう。
観音寺城の本丸では、100名城で来ていた方と出会い、話をすると自分の住んでるところの隣の市の方でした。これも何かの縁ということで一緒に回ることに、二人の持っていた資料を見ながら歩き、見たかった場所は押さえられました。たまには同じ趣味を持った方と回るのも良いですね。ありがとうございました。
しかし、安土城の前に総石垣の城と知っていましたがここまでの規模とは思いもしませんでした。
来たかいがありました。ただ、夏場は薮蚊が多いです。

スタンプ
設置場所
石寺楽市会館/観音正寺
登城日 2009年9月22日(火)
LINK まぼろしの観音寺城
安土町観光協会HP
観音寺城-Wkipedia
城主家紋 【隅立て四つ目結】
(宇多源氏佐々木氏流)
佐々木六角家家紋


【観音正寺駐車場の碑と案内板】
有料道路(500円)を通ってここまで来れます。
【淡路丸の石垣】
参道途中に道らしきものがあり入ってみるとこの石垣が目に入ります。登ってみるとそこには淡路丸がありました。
【淡路丸】
布施氏の屋敷跡で井戸跡もあります。
【淡路丸石垣】 【参道途中の階段】
淡路丸を越えしばらく行くと山上に行く階段が姿を表します。
【石垣】
階段を上っていくと石垣が目に入ってきます。
【石垣】
ところどころに石垣があり、その周辺には空間もあるので曲輪の一部なのかもしれません。
【佐々木城址碑】
山頂部にある碑、ここから奥の院へ向かいます。
【石垣】
奥の院へ下っていくとここにも石垣があります。そして巨石群も現れ始めます。ここからは下方にある観音正寺へ。
【観音寺城へつながる道】
観音正寺の仏像の隣にこの道があります。
【石垣】
観音正寺下、後藤屋敷との間の石垣。
【登城道】
飛び石なのであろうが、角度が一定でないためかえって危険な感じがします。
【本丸大手石段】
本丸へ続く石段で大手口にあたる。昭和44年の発掘調査の際に発見された。調査前は土に埋もれて草木が生い茂っていたそうです。石段の途中には暗渠(排水用)がある。
【門跡?】
石段途中で右に折れるとこの石垣部分に出くわす。
写真は通り過ぎてから本丸側より撮影。
結局は石段と本丸で一緒になる
【本丸】
ここには天守ではなく二階建ての屋敷(二階御殿)が建っていたようである。
【本丸石垣】
本丸を囲むように石垣がある。
【本丸-溜枡跡】 【本丸-搦手側食違い虎口】
【本丸-搦手虎口付近の石垣】
高さ3m近くあり、排水用の水路も見られる。
【本丸-食違い虎口】
この虎口を出てすぐ下には大夫井戸があり、右に折れると桑實寺へ通じる搦手道がある。ここからは下方の桑實寺へ
【大夫井戸】
石垣に囲まれた井戸、今も水を蓄えている。。
【本丸-虎口】
平井丸へ通じる虎口。
【平井丸】
平井氏屋形跡。
【平井丸-井戸跡】
【平井丸-上段虎口】 【平井丸-上段】 【平井丸-虎口】
観音寺城で一番目にする写真はこの虎口です。
写真の右に進むと三の丸へと続きます。進むときは平井丸の石垣をよく見て行ってください。途中に埋門があります。
【落合丸】
落合氏屋敷跡。
【落合丸-虎口】
ここから池田丸へと通じます。
【落合丸-門跡の石垣】
【落合丸→池田丸への道】 【屋敷跡T?】
落合丸から池田丸へ向かう右側にいくつかの屋敷跡のような空間が存在する(説明板はない)。
【屋敷跡U?】
【池田丸】 【池田丸-石垣】 【池田丸-虎口】
下に通じる道は、よくわからなかった。
【池田丸-井戸跡】 【池田丸-石垣】 【池田丸-石垣】
池田丸を囲むように石垣がある。
【池田丸-暗渠】 【池田丸→落合丸へ】 【池田丸→落合丸へ】
中央に見えるのは、屋敷T?になる。
【池田丸→落合丸へ】
道を歩くだけでも立派な石垣が目に入ってきます。
【平井丸-埋門】
平井丸内では見つけにくかった埋門。三の丸へ向かう途中で見つけることができた。
だいぶ崩れてきてしまっているようです。
【三の丸】
【三の丸-石垣】 【繖山】
この山に観音寺城、観音正寺、桑實寺がある。
【奥の院ー石段】
急な石段でロープがないと上がれない。
【奥の院-石垣】 【奥の院】
この祠内に行者の描いた壁画あるそうです。
入らないようにと書かれていたので入らなかったら、お坊さんに今日は見てもよかったんですよって言われた。公開日だったようですね。でも上から下りてきたのでと言ったら笑われました。
【奥の院-風神雷神窟】
一段下にある祠。
【奥の院-入口】
急な石段でロープが上から下ろされている。
【権現見附】
大きな石垣虎口。
【ねずみ岩】
ねずみの顔のように見えますね。
【鐘楼】 【観音正寺よりの眺望】
晴れていれば絶景ですね。
【仁王像】 【北間地蔵寺】 【茶園】
【濡佛】 【白蛇大明神】 【供養堂】
【護摩堂】 【本堂】
この「本堂」は平成16年(2004年)3月に再建され、同年5月22日に落慶されたもので、見た目にも新しい。
かつての本堂は明治15年(1882年)に彦根城の欅御殿を移したものであったが、平成5年(1993年)5月22日に全焼した。この火災により本堂に安置されていた重要文化財の本尊、木造の秘仏千手千眼観音立像をはじめ平安後期の毘沙門天像など仏像9体も灰燼に帰した。また、聖徳太子に願を訴えたという伝説の人魚のミイラと称するものも同時に焼失したといわれている。
【本堂脇の石積み】
意味ありげの石積みだが山の斜面の崩れ防止とのこと。岩には観音様が置かれていたりする。
【魚濫観音】 【太子堂】
【桑實寺からの登城道】
本丸から下っていきます。
【桑實寺からの登城道】
途中で石垣も見ることができますが、石がごろごろしていて非常に歩きずらい山道です。
【桑實寺からの登城道】
【桑實寺からの登城道】 【桑實寺入口】
ここを通ると”ピンポ〜ン”とチャイムが鳴り、興ざめします。
【桑實寺から見た登城道】
【経堂】 【?】 【本堂】
【大日如来像】 【薬師如来像】 【不道明王】
【本堂】
南北朝時代に建てられた入母屋造り檜皮葺きで重要文化財になっている。
【鐘楼】 【桑實寺の石垣】
【桑實寺の石段】
500段は続く石段。
【地蔵堂】
以前挫折した場所。
【桑實寺の石段・石垣・石橋】
【室町仮幕府跡】
足利第十二代将軍義晴が三年間この石垣の上に仮幕府を開いた。
【桑實寺山門】
ここでも通過するとチャイムが”ピンポーン”と鳴る。
【山門へと続く石段】








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