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※地図上のマーク、線はおおよその位置を示したものです。
城名 有岡城(別名:伊丹城)
住所 〒664-0846
兵庫県伊丹市伊丹1丁目地内他
入場時間
入場料 無料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 平城
天守構造 不明
築城主 伊丹氏
築城年 南北朝時代
主な改修者 荒木村重
主な城主 伊丹氏、荒木村重、池田之助
位置 北緯34度46分52.66秒
東経135度25分15.21秒
地図 石垣
礎石建物跡
土塁
空堀跡
岸の砦跡
【沿革】
伊丹氏がこの場所に城を築いたのは、鎌倉時代末期の頃のことである。はじめは居館として建てられたが

南北朝時代から永正17年(1520)には城下町をも城の中に取り込んだ「惣構」構造の兆しがみられ、その後の一向宗との合戦など、数々の戦いを経て次第に強化されてきました。

天正2年(1574)、織田信長の部将、荒木村重が伊丹市を破って入城し、「有岡城」と改名しました。そして摂津一国の軍事上の中心として大改修を行い、主郭部・侍町・町屋地区の全体を堀と土塁で囲み、北・西・南にそれぞれ砦を配した惣構の城を完成させました。

天正6年、村重が信長に背いたため、大軍によって包囲され、10ヵ月の攻防戦の末に落城しました。その後、池田之助が城主となりますが、同11年には美濃国に移り、城は廃されました。城下町のうち町屋地区はそのまま残り、江戸時代には酒造りの町として栄えました。主郭部は「古城山」などと呼ばれ、堀跡や土塁が残っていましたが、明治時代に鉄道(現在の宝塚線)が開通したことにより、大半が取り壊されました。

しかし、昭和50年(1975)から行われた発掘調査により、土塁の石垣や建物跡など、貴重な遺構が残されていることがわかって、国史跡に指定されました。


【感想】
伊丹駅すぐにある有岡公園内が有岡城の主郭部分に当たる。ここには土塁、石垣、井戸跡、建物跡も見られる、主郭部分の裏側には空堀跡も見られ、往時を偲ぶことが出来ます。
また、有岡公園から北西方向にある猪名野神社境内西側には岸の砦跡の土塁が良く残っている。
この位置関係からも有岡城の総構の広さを垣間見ることが出来ます。
登城日 2011年3月11日(金)
LINK 伊丹市ウェブサイト-有岡城
伊丹城-Wikipedia
城主家紋 【下り藤に加文字】
(藤原北家利仁流か?)
伊丹家家紋
【牡 丹】
(藤原北家秀郷流)

摂津荒木家家紋

                      

探訪

※案内板より
【有岡城跡碑】 【有岡公園入口】
【有岡城跡碑文と有岡公園】
【礎石建物跡】 【井戸跡】
礎石建物跡脇にある。
【土塁】
【有岡城石垣】
石垣の中には石塔を転用しているのが見られる。
【井戸跡】
石垣脇にある。
【空堀跡】
【空堀跡】
こちらは整備され広場になっており子供たちが遊んでいました。
岸の砦跡
【猪名野神社】 【猪名野神社-拝殿】 【猪名野神社西側に残る土塁】
【猪名野神社西側に残る土塁】




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