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※地図と写真で位置にずれがあります。赤線は大体の位置になります。
城名 千早城(別名:楠木詰城。金剛山城、千早の詰城、千早の隠れ城)
住所 〒585-0051
大阪府南河内郡千早赤阪村千早
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし(最高所に望楼櫓が建っていた可能性あり)
築城主 楠木正成
築城年 元弘2年、正慶元年(1332)
主な改修者 不明
主な城主 楠木氏
位置 北緯34度25分2.01秒
東経135度39分4.31秒
地図 四ノ丸跡
堀切跡
三ノ丸跡
二ノ丸跡
本丸跡
100名城
スタンプ
【概要】
元弘二年(1332)楠木正成が築城し、翌年5月まで百日間、藁人形などの木柵をもって鎌倉幕府軍の攻撃に耐えて建武中興の原動力となった難攻不落の名城である。
標高約660メートルで、城の南(妙見谷)、北(風呂谷)、西(大手口=登城口)の三方は急斜面で、府道との比高は150メートル。東方だけが尾根伝いに金剛山に通じる天然の要害である。
五百数十段の石段を登ると四ノ丸があり、それより本丸までの奥行が約300メートル、その比高は約30メートルである。
太平記に、敵は百万騎、味方は僅かに千人足らずにて「誰を頼みに何を待つともなきに城中にこられて防ぎ戦いける楠木が心の程こそ不敵なれ」とある。


【感想】
登城口から見上げた石段に圧倒されるが、登ってみるといつの間にかに四ノ丸に着いている。雪が残る頃に登るのは危険なので避けた方がいい。四ノ丸から本丸方向に進むと二ノ丸に千早神社があり、それより先は神聖な区域ということで登城は避ける。実際にはいっていけないことはないが個人のモラルとしてやめましょう。
城の遺構はないが連郭式ということが良くわかるのと曲輪の両脇を見下ろせば以下に急峻で堅固な城であることが分かる。

スタンプ
設置場所
金剛山麓「まつまさ」、千早城跡茶屋(不定期)
登城日 2011年3月12日(土)
LINK 金剛山麓ーまつまさHP
千早城-Wikipedia
城主家紋 【菊 水】
(橘氏というが不詳)
楠木家家紋

                      

  
探訪
【登城口】
金剛山の山道の一つでもある。
【千早城説明板】 【登城道】
約500段ある石段を登っていく。
【登城道途中にある楠木正成を讃える石碑】 【四ノ丸にある案内板】 【四ノ丸にある千早城跡茶屋と千早神社石碑】
【四ノ丸跡】 【三ノ丸へ続く登城道】 【堀切跡】
四ノ丸と三ノ丸の間には堀切があったとされる。
四ノ丸から少し下り進むと三ノ丸へはまた石段を登る。この底が堀切跡とされる。
【三ノ丸へ続く石段】
堀切跡から撮影。
【三ノ丸跡】
ここには千早神社の社務所がある。
【千早城跡碑】
三ノ丸にある。
【三ノ丸下の崖】
両脇がこのような崖になっているので以下に堅固であるかが分かる。
【二ノ丸へ続く石段】 【二ノ丸跡(千早神社)】
【千早神社】 【二ノ丸から見た本丸方向】 【二ノ丸下の崖】



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