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※地図と写真で位置にずれがあります。赤線は大体の位置になります。
城名 竹田城(別名:虎臥城、安井ノ城)
住所 〒669-5252
兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山169番地
入場時間
入場料 将来は時期により徴収されるようです。
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 梯郭式山城
天守構造 不明
築城主 山名宗全(伝承)
築城年 永享3年(1431)
主な改修者 羽柴秀長、赤松広秀(斎村政広)
主な城主 太田垣氏、羽柴秀長、赤松広秀
位置 北緯35度18分1.89秒
東経134度49分44.09秒
地図 大手門
北千畳
本丸
花屋敷
南千畳
100名城
スタンプ
【概要】
『嘉吉の乱」に始まる但馬守護山名氏と播磨守護赤松氏との間の軍事衝突により、赤松氏は追討され、播磨守護は但馬守護の山名持豊(後の宗全)が兼ねることになった。

標高353.7mの山頂に位置する竹田城跡は、嘉吉2年(1442)山名持豊(後の宗全)が基礎を築き、太田垣光景を城主にしたという。その後、丹波細川氏、播磨赤松氏による侵攻に耐え、やがて太田垣氏は、山名氏からも独立した勢力を保つに至り、7代にわたって城主となった。

永禄12年(1569)、、織田信長が豊臣秀吉を但馬に侵攻させると、ときの城主太田垣輝延は織田方に降伏した。天正1年(1573)、吉川元春らの毛利方が城に迫ると太田垣氏をはじめとする但馬の領主達は相次いで毛利方に降伏してしまう。天正5年(1577)、信長から播磨・但馬の平定を命ぜられた豊臣秀吉は、瞬く間に播磨を統一。秀吉本体はそのまま西進、弟の秀長が但馬へと侵攻した。
但馬侵攻は領土拡大とともに生野銀山の確保が狙いだったと思われる。
秀長は、竹田城へ迫り3日間に及ぶ戦闘の末、城は陥落。秀長はそのまま城代として竹田城に入ることになる。

その後再度太田垣氏が城主となるが天正8年(1580)秀長により山名祐豊の居城有子山城が陥落し、山名氏の但馬支配が終わりをつげると太田垣氏も没落したのである。

同年、秀吉は桑名重晴を竹田城主とし、鳥取城攻めを開始。信長の死後、関白となった秀吉が天正13年(1585)に支配体制の強化を狙った配置換え実施し、赤松広秀が入城し、関ケ原の戦い後まで年間城主を務めている。広秀は関ケ原の戦いの際に西軍に属したため切腹を命じられ、竹田城も廃城になった。

竹田城の現在のような豪壮な石垣積みの姿は文禄・慶長年間(1596〜1615)、広秀が城主の頃に、造られた城とされる。


【感想】
現在は「天空の城」、「日本のマチュピチュ」などと呼ばれるようになり、映画などにも使用され、人気が出てしまい観光客が多くなっている。
また雲海が一番出やすい晩秋(9月〜11月)の早朝は特に写真愛好家が集まる。

石垣をじっくり見るのであれば時期や時間帯をずらした方がゆっくりと満喫ができる。
ただし、休日は団体観光客も来るようである。

人が多くても見る価値は十分で本丸を中心に両翼に伸びた曲輪の美しさ、穴太積みの石垣を満喫することができます。そして、眼下の景色は絶景である。

スタンプ
設置場所
JR竹田駅内観光案内所
登城日 2013年3月23日(土)
LINK 朝来市HP-竹田城
竹田城-Wikipedia
城主家紋 【木 瓜】
(但馬国造日下部氏後裔)
太田垣氏家紋

【二つ引に三つ巴】
(村上源氏季房流)
赤松氏家紋

                      

  
探訪

※案内板より(加筆あり)
【竹田駅から見た竹田城】 【大手道登城口】 【屋敷跡】
【登城道】 【登城道】 【大手口】
【大手口と城址碑】 【大手道】 【見附下より見た南千畳側】
【大手門跡】 【大手門跡】 【大手門枡形】
【大手門枡形】
大手門を抜けると目の前には櫓があり、堅牢なことがわかります。
【北千畳から見た天守方向】 【北千畳】
【北千畳の石垣】 【北千畳から見た南千畳方向】 【櫓に囲まれた門跡】
門の名前はないがここにも門があったと思われる。
【櫓台石垣と門跡】 【三の丸(溜殿)】 【三の丸から見た天守方向】
【井戸へと降りる枡形虎口】 【井戸へ降りる枡形虎口】 【三の丸(溜殿)】
【武の門】
ここも櫓により固く守られていた。
【武の門】
位置的には三の丸内なので仕切り門の役目があったと思われる。
【櫓台】
【武の門】
櫓台上より。
【櫓台から見た二の丸】 【三の丸から見た天守】
【二の丸虎口】 【二の丸】 【二の丸から見た天守】
【二ノ丸から見た南千畳】 【天守台石垣】 【本丸へ続くスロープ】
【本間虎口】 【本丸虎口】 【本丸より見た土塀跡か?】
【本丸より見た北千畳方向】 【本丸より見た南千畳方向】 【本丸より見た花屋敷】
【本丸】 【天守台】 【天守台上】
【本丸虎口】 【本丸虎口石段】 【本丸石垣】
【喰違い虎口】 【南二の丸虎口】 【平殿】
【花屋敷(花殿)】 【花屋敷虎口】
花屋敷へ降りるための虎口。
【花屋敷虎口】
花屋敷から下へ行くための虎口
【花屋敷】 【花屋敷より見た本丸石垣】 【花屋敷を囲う石垣】
【櫓台】
南から本丸への侵入を防ぐための櫓跡。
【本丸下より見た南二の丸方向】
ここも櫓により守られている。
【南二の丸虎口と櫓台】
【南二の丸(講武所)】 【南二の丸虎口】 【南二の丸下より見た本丸石垣】
【南千畳の櫓台上より見た南千畳】 【正門跡】 【南千畳】
【搦手虎口】 【南千畳虎口】 【南千畳より見た天守方向】
竹田城パノラマ】
【法樹寺】
赤松氏の菩提寺。
【法樹寺前の水路】 【西国三十三所 観音石佛】
【赤松広秀公墓所】



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