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※地図上のマーク、線はおおよその位置を示したものです。
城名 膳所城(別名:石鹿城、望湖城)
住所 〒520-0814
滋賀県大津市本丸町7
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 梯郭式平城
天守構造 4重4階(非現存)
築城主 徳川家康
築城年 慶長6年(1601)
主な改修者 本多俊次
主な城主 戸田氏、本多氏
位置 北緯34度59分42.98秒
東経135度53分43.29秒
地図 膳所神社・本丸大手門(移築門)
中大手門跡
二ノ丸多門櫓(模擬)
本丸跡
天守閣跡
【沿革】
慶長5年(1600)関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は、近江から京へ入る東海道を押さえると同時に大阪方に備えるために逢坂の関を復旧するか、大津城を再興するか重臣の本多佐渡守正信に相談をしたが、その策には賛同できないといって、瀬田城跡と窪江城跡、そして膳所崎の3ヶ所に幟を立て、城地としての地勢を判断した。
その結果、大津城は籠城の際、守りのもろさを露呈した(大津城は背後の長等山から城内が見渡せるという欠点があった)。瀬田城跡、窪江城跡は東海道を押さえても、湖上水運を押さえられないと理由で膳所崎に決まった。

慶長6年、天下普請により縄張りは築城技術に長けた藤堂高虎が行い、8人の奉行が当たり膳所城が完成した。

膳所城は、東海道の名勝として屏風や図絵にも描かれ、街道を行き来する旅人は、「瀬田の唐橋 唐金擬宝珠(からかねぎぼし) 水に映るは膳所の城」と唄われるほどでの雄姿でした。

現在は、膳所城の本丸跡が膳所城跡公園となっている。公園内の湖岸には石垣の一部が遺構として残る。二の丸跡、および三の丸跡は膳所公園の南に続いていたが、現在では膳所浄水場となっている。
その他城門が膳所神社(大津市膳所1丁目)、篠津神社(大津市中庄1丁目)、鞭崎神社(草津市矢橋)の三ヶ所に移築され現存している。


【感想】
膳所本町駅からすぐに膳所神社があるのでそこに寄ってから、膳所城跡公園へ。膳所城跡公園は市民の憩いの場になっているようで琵琶湖に向かって釣りを楽しんでいます。
水辺では家族ずれがいたり休日を楽しむ中に、石垣の石材がごろっとあるんですよね。
言われないと見過ごしそうです。写真もそれ用には撮ってなく、写ってるのを探したらあったので拡大してのせています。

登城日 2013年5月4日(火)
LINK 滋賀県観光情報-膳所城跡公園
膳所城-Wikipedia
城主家紋 【九曜】
(北家藤原氏流)
戸田氏家紋
【立ち葵】
(藤原北家兼通流)
本多氏家紋

                      

探訪
【膳所神社】 【膳所神社表門】(重要文化財)
膳所城の本丸大手門とされる薬医門形式の門。
【膳所神社表門の瓦】
この河原には本多氏の家紋である立ち葵が描かれている。
【膳所神社山門】
【膳所神社・神楽殿】 【膳所神社・拝殿】
【膳所神社・南門】
近年建て替えられましたが膳所城の城門の一つとされている。(詳細は不明)
【膳所神社・南門】
形式は高麗門。
【膳所神社・北門】
近年建て替えられましたが膳所城の城門の一つとされている。(詳細は不明)
【膳所神社・北門】
形式は薬医門。
【中大手門跡】 【膳所城跡公園の門】
ここからが膳所城の本丸跡となる。
【門の脇に作られた模擬堀】 【膳所城址碑】 【二ノ丸跡の多聞櫓(模擬)】
【膳所城遠景】 【天守閣跡】 【水辺にある石垣として使用された石材】
【水辺にある石垣として使用された石材】
※写真は頂き物
【石鹿地蔵尊】
ここにある地蔵は最初は比叡山延暦寺にあったものとされます。 それが坂本城の礎石に転用され、次に大津城そして膳所城と転用されていったものをこの場所に60体祀っているそうです。
【石鹿地蔵尊】
【ジャンル】食堂
【店名】美富士食堂
【場所】〒520-0815 滋賀県大津市膳所2丁目8-6
   膳所本町駅前すぐにあります。
【TEL】077-522-8135
【品名】かつ丼 \700-

【感想】
とてもコスパに優れたお店です。
というのも、うそだろう~ってくらい山盛りで重くて片手で持てない量の盛で出てきます。
正直どうやって食べようか悩むくらいの代物です。

他のメニューもこの有様ですから注意が必要かも^^;




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