城名 平井山ノ上付城
住所 〒673-0421
兵庫県三木市平井365
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡(三木城跡及び付城跡・土塁として)
城郭構造 平山城(丘城)、陣城
天守構造 なし
築城主 羽柴秀吉
築城年 不明
主な改修者 不明
主な城主 羽柴秀吉
位置 北緯34度48分33秒
東経135度00分54秒
地図 主郭
大手口
登城道
太閤の道
【歴史】
三木合戦の際、羽柴秀吉が本陣とした付城です。
美嚢川と志染川の間に挟まれた山上に位置し、南西に三木城を望むことが出来ます。
天正6年(1578)7月、織田信長の長男、信忠が三木城を支援する神吉城や志方城(ともに加古川市)を攻略した後、築城したとされています。8月に羽柴秀吉が入ると、10月15日に津田宗久を招いて茶会を開催しました。同22日に別所方が襲来して合戦が繰り広げられましたが、別所長治の弟別所治定らが討死するなど、別所方の敗北に終わっています。
城は、土塁囲みの平坦地を主郭として東西に尾根が延び、その尾根から分かれる北側の尾根には軍勢が駐屯するための段状の平坦地群が設けられています。主郭の東側に延びる尾根は、部分的に土塁で囲まれ、櫓状土盛りが見られます。
(城内説明板より)


【感想】
国指定史跡になり整備も行き届きとても見やすい場所になっています。主郭は広く土塁も良好に残り、その場所には仮設の展望台もできて三木城址を見ることが出来、三木合戦の雰囲気を味わうことが出来ます。ただこの展望台はパイプ作りで強度的に不安はありますので一人一人登る方が良いでしょう。


登城日 2013年12月6日(金)
LINK 三木市HP-平井山ノ上付城
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城主家紋 【五七の桐】
豊臣氏家紋

                      

探訪

※現地説明板より
【鷹ノ尾城跡】
手前は後から築かれた貯水池であろう。
【目印】
与呂木を過ぎた辺りに看板が立っています。
【竹中半兵衛の墓の指標】
【竹中半兵衛の墓】
今も地元の方が供養をしています。
【平井山ノ上付城登城口】
国指定史跡を受け整備されたようです。手前の広場が駐車場になっています。
【登城口】
【説明板】 【登城道】
整備され登りやすくなっています。
【祠】
階段を上り詰めると目の前にあります。
【登城道】 【登城道】 【段状の平坦地群】
兵が駐屯できるように、斜面地を削ったり、土を盛ったりして、段状に複数の平坦地を築いています。
【登城道】 【登城道】
左側は崖になっています。
【(伝)太閤道】
尾根上の山道は、太閤道とも呼ばれており、秀吉ゆかりの道であったと思われます。
【主郭跡】
三方を土塁で囲み、当本陣の中で最も主要な曲輪であると考えられます。ここから南西方向に三木城跡を望むことが出来ます。
【仮設の展望台】
風が吹くとめちゃくちゃ怖いです。
登られる際は、気を付けてください。
【南西方向の眺望】
残念ながら目視ではガスっていて三木城跡を確かめられませんでした。
【南西方向の眺望拡大】
望遠にしてようやく三木市役所を確認することが出来、三木城跡の位置がわかりました。秀吉もこの景色を見ていたのでしょうね。
【主郭東側登城道】 【櫓台状の土盛り】
【登城道】 【登城道】
Uターンのマークがあるようにここから先は行き止まりで東端になります。
【平井山ノ上付城東端】
ここが東端になり、この下は崖になっています。
【大手道】
東端から主郭へ戻る途中に大手口へ向かう道があります。
【主郭への近道】
大手道の途中に主郭への近道があります。
【大手の段状の平坦地群】
【大手口】
内側より撮影。これより先は道がなくなっています。
【大手口】
外側より、しゃがんで撮るとすごく高い壁のように見えますね。
【主郭近道】
先ほどの岐路まで戻り近道を進むと、主郭そばまで行けます。




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