城名 御着城(別名:茶臼山城、天川城)
住所 〒671-0232
兵庫県姫路市御国野町御着1142-2
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 平城
天守構造 不明
築城主 小寺正隆
築城年 永正16年(1519)
主な改修者
主な城主 小寺正隆、小寺則職、小寺政職
位置 北緯34度49分06秒
東経134度44分26秒
地図 本丸跡
二ノ丸跡
堀跡
黒田家廟所
【歴史】
御着城は茶臼山城、天川城とも呼ばれ、播磨守護赤松氏の家臣小寺氏の居城。永正16年(1519)小寺正隆が築城、則職・政職と継承され天正6年(1578)か7年に羽柴秀吉の播磨侵攻で滅亡したとされるが、嘉吉年間(1441~44)にすでに構居が設けられていたとされ、明応年間(1492~1501)には赤松氏の播磨支配の拠点として守護所の機能を持つ城郭として機能していた。

昭和52~54年の発掘調査で、御着城が14世紀後半から16世紀後半まで存続し、16世紀半ばに大・中型の堀や土塁が築かれ本格的な縄張が行われたことが判明。中世の人々の生活に深くかかわる時・陶磁器・木製品・石製品等の遺物も検出された。

宝暦5年(1755)の「播州飾東郡府東御野庄御着茶臼山城地絵図」には城の中核に本丸と二ノ丸、西と南は天川を利用した二重の堀、北と東は四重の堀、外郭部に家中屋敷や町家の記載があり、惣構えの城が描かれている。現在、御着城跡の中央を東西に国道二号線が走り、本丸跡に市役所東出張所・御着城公園・御国野公民館がある。
(城内説明板より)


【感想】
御着駅前のロータリー内に”播磨 御着”のパンフレットが箱に入っているので忘れないで持っていくことをお勧めします。このパンフレットを見ながら探訪するとわかりやすく目的地に行くことが出来ます。
城自体の遺構は堀跡くらいしかありませんが、地形をよく見ると天然の堀の天川を利用した縄張りを今でも見ることが出来ます。
ただここが姫路城の本城とはとても思えない城址でした。


登城日 2013年12月7日(土)
LINK いざ!兵庫のおすすめ城たび100選-御着城
Wikipedia-御着城
城主家紋 【藤橘巴】
(村上源氏赤松氏流)
小寺氏家紋

                      

探訪

※現地説明板より
【天川と天川橋】
御着城の天然の堀となっていた天川。そこに架かる天川橋は昔石橋でその石橋は御着城本丸跡に移築復元保存されている。
【本丸跡(南側)】
小寺大明神公園になっている。
【城主供養の奥都城と天川政隆氏の歌碑】
【御着城落城時の犠牲者を弔う慰霊碑群】 【小寺大明神(天川神社)】
三代の城主と当時の戦死者を祀っている。
【城址(本丸)を分断する国道2号線】
【本丸跡北側】 【黒田官兵衛 顕彰碑】 【御着城をイメージした姫路市東出張所】
【御着城址碑】 【本丸と二ノ丸の間の堀跡】 【二ノ丸跡とされる運動場】
【堀跡と移築復元された天川橋】
橋の下の窪みが堀跡である。
【黒田家廟所】
黒田重隆と黒田官兵衛の母の墓所。
【馬場跡】
日本郵便の建屋のある場所が馬場跡といわれている。




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