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城名 | 国府山城(別名:妻鹿城、功山城、袴垂城) | ||
住所 | 〒672-8031 兵庫県姫路市飾磨区妻鹿 |
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入場時間 | - | |||
入場料 | - | |||
指定文化財 | - | |||
城郭構造 | 山城 | |||
天守構造 | 不明 | |||
築城主 | 妻鹿孫三郎 | |||
築城年 | 元弘3年(1333) | |||
主な改修者 | 黒田氏 | |||
主な城主 | 妻鹿氏、黒田氏 | |||
位置 | 北緯34度47分51秒 東経134度41分43秒 |
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地図 | 1 | 主郭跡 | ||
2 | 庭園廓跡 | |||
3 | 磐座 | |||
4 | 馬駆け跡 | |||
5 | 帯廓跡 | |||
【歴史】 国府山城は、山陽電鉄妻鹿駅の北約1キロの甲山(標高98m)の山頂に、元弘3年(1333)、「太平記」で知られる赤松円心配下の勇将・妻鹿孫三郎長宗が城を築いたのが始まりで、織田信長が石山本願寺と戦いを始めてから毛利水軍の往来が激しくなり、それを監視するために天正元年(1573)黒田職隆が再びこの山に城を構えました。 天正8年(1580)1月に三木城を陥落させ、三木城を毛利攻めの本拠にしようと考えた羽柴秀吉に対し、黒田官兵衛は「三木城は戦略的に不備があり、海陸交通の要衝である姫路城こそ本拠にふさわしい」と進言し、自らの居城である姫路城を秀吉に譲った後、同年4月に父職隆とともに国府山城に移った。 この国府山城の西側の麓には市川が流れ、天然の堀の役割を果たすとともに、当時現在の京口川と繋がっており、姫路城近くまで舟で行くことが出来ました。軍の移動も物資の運搬にも大変便利良く、一旦、事あれば狼煙をあげ、それを合図に互いに駆けつけ合うことができる距離にあり姫路城の支城的役割を果たした。 天正13年(1585)黒田職隆が没した後は、廃城となったとされている。 【感想】 2014年度の大河ドラマが黒田官兵衛ということもあり、妻鹿駅付近は大河ドラマの旗が立っています。そのため官兵衛所縁の場所を巡るのには最適な時期でした。 国府山城もすっかり整備され藪漕ぎもせず、安心して周ることが出来ました。 主郭からの眺望は180度ひらけ、南は瀬戸内海、北は姫路城まで見通しが良く戦略上の要衝ということがわかります。 こんなにひらけていると気持ちも良いし最高の城探訪となりました。 |
登城日 | 2013年12月8日(日) | ||
LINK | いざ!兵庫のおすすめ城たび100選-妻鹿城 | |||
城主家紋 | 【隅切角に三つ巴】 (薩摩氏後裔/赤松氏支流) 妻鹿氏家紋 |
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【藤巴】 (宇多源氏京極氏流) 黒田氏家紋 |
※現地説明板より これなんかわかり辛いです。ネット上に見かける古い説明板の方が良かったような気がします。 |
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【妻鹿駅から見た国府山城】 | 【黒田職隆廟所】 天正13年(1585)に国府山城で亡くなった官兵衛の父・職隆の墓所。国府山より南方にあり地元では「筑前さん」と親しまれています。 |
【元宮八幡神社】 | |
【元宮八幡神社内に立つ母里太兵衛生誕之地碑】 黒田二十四騎の一人母里太兵衛の生誕場所が妻鹿だったことにちなんで平成25年に立てられました。 |
【国府山城遠望】 | 【妻鹿城址碑】 城址碑は”妻鹿城”となっている。 |
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【荒神社】 国府山城の登城口がある荒神社。奥津彦命・奥津姫命が祀ってあり、甲山経塚から出土した二仏の泥塔の同范が御神体です。 |
【登城口】 | 【登城道】 | |
【井戸跡】 | 【門跡】 | 【門石跡】 門の礎石ですね。片側にしかありませんでした。 |
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【かまど跡】 奥まで行きましたがよくわかりませんでした。 |
【馬駆け】 登城道から開けた場所に出るとこの馬駆けに出ます。 |
【甲山経塚跡】 甲山は御旅山の北西端に位置し、経塚はその緩やかな山頂部の突端に造営されている。 |
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【甲山経塚跡からの眺望】 ここより瀬戸内海、小豆島なども見ることが出来、瀬戸内海を往来する船などの監視もできる場所である。 |
【登城道】 | 【登城道と廓跡】 ここより先に、こういった郭跡が点在する。 |
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【登城道】 左下は崖になっている。 |
【廓の虎口】 | 【廓跡】 | |
【土塁跡】 表示がないと見逃してしまうくらいの高さしかない。 |
【狼煙廓跡】 | 【登城道】 登城道の途中途中にこのような岩が至る所に姿を見せている。 |
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【二層の隅櫓跡】 | 【登城道】 | 【郭跡】 | |
【主郭の虎口】 | 【主郭跡】 | 【主郭からの眺望】 姫路城がはっきりと見える。 |
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【主郭からの眺望(パノラマ)】 左手に瀬戸内海まで見ることが出来る。 |
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【廓跡】 | 【庭園廓跡】 岩がたくさん置かれており、昔ここが庭園だった面影を残す。 |
【廓跡】 | |
【磐座(いわくら)跡】 | 【廓跡】 この場所が東端の様です。 |
【帰り道】 主郭に戻るのではなく帰り道となっている道より戻ることになる。 |
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【帯廓跡】 主郭より一段下に帯状に延びる廓。 |
【帯廓跡】 | 【登城道】 自分の背丈よりも高い笹が生い茂る。整備されていればよいが夏場にはこの道にも生える可能性が高い。 |
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【岐路】 帯廓から降りてくるとこの場所に出る。左はも一つの登城道へ続くものと思われる。右側は登るときに通った馬駆けに続く。 |
【もう一方の登城道】 | 【国府山城と登城口】 |