城名 龍野古城(別名:鶏籠山城、朝霧城)
住所 〒679-4179
兵庫県たつの市龍野町北龍野325-35
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 赤松正則
築城年 明応8年(1499)
主な改修者
主な城主 赤松氏、蜂須賀正勝、福島正則、木下勝俊など
位置 北緯34度52分21秒
東経134度32分41秒
地図 本丸跡
二ノ丸跡
八幡宮跡
大手道
紅葉谷
【歴史】
原生林に包まれた「鶏籠山」は、鶏の伏せ籠に似たような山だったので、その名がつけられたといわれ、山頂には、今もなお風雪に耐えてきた城の石垣などが残っています。

管領細川勝元の力添えがあり、赤松政則の播磨国入国し再興を果たす。当初は国衆にも歓迎されたので、播磨国・備前国・美作国の三国の守護に返り咲くことができた。文明元年(1469)に赤松氏の本城となる置塩城を築城。

赤松政則には側室の子である村秀がいたが、細川勝元の娘である正室に遠慮して婿養子・義村を跡継ぎにし置塩城主としたことから、赤松村秀には、明応8年(1499)、 鶏籠山に新城(龍野古城)を築いて与えることにした。赤松村秀が最初の城主となり、この地を治めました。龍野赤松氏の始まりである。赤松氏は政秀、広貞、広秀と城主になり、4代78年続きます。

天正5年(1577)、天下統一を目指していた織田信長は、播磨、中国地方を平定するため、家臣の羽柴秀吉に播磨攻めを命じます。秀吉軍は、二万の大軍で揖保川まで攻め寄り、この様子を眼下に見た赤松広秀は、赤松の滅亡を憂い、城を明け渡し秀吉の軍門に下ります。(のちに、赤松広秀は、但馬の国和田山、竹田城主となる。)

龍野城は、蜂須賀正勝、福島正則、木下勝俊、小出吉政など秀吉の最も信頼する重臣たちが代々城主となります。
その後、1598年頃に山頂の城を取り壊して、麓の現在の地に城が築かれたといわれています。(徳川時代となり、麓の城は、元和3年(1617)龍野藩主として本多政朝が入城し、藩主が入替わりながら、藩主脇坂安斐、明治4年(1871)廃藩置県まで続く)

龍野古城には本丸跡、二の丸跡、竪堀跡、八幡宮跡、土塁跡、削平地跡などがあり、弓矢に利用されていた矢竹が群生しています。
(説明板に加筆)

【感想】
龍野城内から登城口がありそこから登ることが出来るが、大手口は晩秋だと枯葉で覆われ道も良くわからない状況であった。そのため「鶏籠山頂龍野古城案内」のおすすめコースである紅葉谷から登ることにした。
紅葉谷へ行く途中や紅葉谷にも遺構があり、実際の登城口まで楽に行くことが出来る。龍野古城北西尾根伝いに続く登城道の両側は断崖になっており、登城道も砂岩化している箇所もあるので注意が必要です。
でも苦労して登る価値はありました、石垣が点在することで、往時ここが石垣でできていた城であったことを思い浮かばせてくれます。
帰りの落ち葉に埋もれた大手道を下りるのは少々怖かったですけどね。


登城日 2013年12月8日(日)
LINK 龍野城-Wikipedia
城主家紋 【二つ引に三つ巴】
(村上源氏季房流)
赤松氏家紋

                      

探訪
 
※現地説明板より 左:想像図、右:イメージ図(現在はもっと汚れています)
【龍野城内からの登城口】
ここにあるポスト内に「鶏籠山頂龍野古城案内」という冊子が入っているのでそれを見ながら登るとわかりやすいです。
【登城口】
正面に説明板があり、左手は紅葉谷、右手は大手口になっている。「鶏籠山頂龍野古城案内」では紅葉谷からの登城をおすすめコースとしている。
【紅葉谷へ続く道】
【竪堀跡】
紅葉谷へ抜ける途中にある。
【紅葉谷】 【紅葉谷】
【石垣(侍屋敷)・畑跡】
段々畑のように積まれた石垣があります。太平洋戦争時、食糧不足時期(昭和20年前後)、屋敷跡といわれた空き地も畑として利用された。
【石垣の矢穴】 【侍屋敷の蹲】
どこかの侍屋敷の庭にあった蹲と思われる。
【鳥ヶ撓(とりがたわ)番所跡】 【番所跡内の井戸跡】
竹の板が乗っているだけなので危険です。
【両見坂石灯篭】
門の礎石ですね。片側にしかありませんでした。
【龍野古城登り口】
この場所に説明板があります。
【登城道】
鶏籠山の北西尾根沿いに延びる登城道。
【竪堀跡】
【登城道】 【登城道】 【石垣】
【石垣】 【石垣がある付近からの眺望】 【石段】
【本丸石垣】 【石畳】
この突き当りに八幡宮跡がある。
【鳥居の一部とされる石片】
【八幡宮跡】
八幡宮のある場所は本丸を囲むようにあるので一種の帯曲輪の様である。
【本丸石垣】 【本丸西側虎口】
【本丸西側虎口】 【本丸跡】 【龍野古城址碑】
【本丸東側虎口】 【本丸東側虎口】 【削平地】
【削平地】 【矢竹】
削平地東側の下側に矢竹が植えられている。往時は矢を作るためにたくさんの矢竹が群生していたのでしょう。
【東側の石垣】
【削平地】 【熊の爪痕?】 【二ノ丸】
本丸から削平地をいくつか越えて一段登ると二ノ丸がある。
【二ノ丸跡】 【二ノ丸跡からの眺望】 【登城道】
【削平地】 【大手道】
晩秋、枯葉が多く道が良くわからない、大手道から登ったとしたならば覚悟が必要かと。降りるといも滑るので十分注意したい。
【大手道口】
大手道といっても現在は昔の道に沿って作られてはいないようです。




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