城名 太田城
住所 〒640-8323
和歌山県和歌山市太田
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 紀俊連
築城年 延徳年間(1489~1492)
主な改修者 太田左近宗正
主な城主 紀氏、太田氏
位置 北緯34度13分49.987秒
東経135度11分45.657秒
地図 太田城址碑(来迎寺)
小山塚
出水堤防遺跡
移築大手門(大立寺)
【歴史】
来迎寺は、岡谷健高松城、埼玉県忍城とともに日本三大水攻めのひとつに数えられる戦国時代の太田城の本丸跡と伝えられる場所である。城の範囲は、現在の来迎寺、玄通寺を中心に東西250m、なんぼう200mで周囲に深い堀をめぐらし、東に大門を持っていたとされる。
天正13年(1585)豊臣秀吉の紀州攻めに際し、太田党は太田左近宗正を大将として、約5千人が太田城に立て籠もり、十万余人の秀吉軍に対して強く抵抗したため、秀吉軍は城を取り囲む総延長5~6kmにも及ぶ堤を築き、水攻めを行った。攻防1ヶ月、ついに左近ら中心人物50余人の首を差し出すことを条件に他の者が助命されたとされる。
ここから北東約50mいは、戦いにより亡くなった者を葬った小山塚、北東約250mには太田城の大門があった場所とされる大門橋、北東約700mには水攻めの際に秀吉軍が築いた堤跡が残っている。なお、西約1kmの市内橋向丁の大立寺の山門(和歌山市指定文化財)は、この太田城の大門を移したものと言われている。
(来迎寺前説明板より)


【感想】
城としての遺構は移築現存の大門以外はありませんが秀吉が築いたとされる出水堤防遺跡が残っており来迎寺から歩いて行くとその規模が実感できます。
ただこの出水堤防遺跡に説明板がないので知らないと見逃してしまいます。



登城日 2013年12月14日(土)
LINK きのくに風景賛歌-太田城址碑
Wikipedia-太田城
城主家紋 【九枚笹】
(紀伊国造直系)
紀氏家紋

                      

探訪
【太田左近像】
JR和歌山駅東口、高速バス乗り場付近に平成25年に立てられました。
【来迎寺(本丸跡)】 【太田城址碑】
【小山塚】 【出水堤防遺跡】 【出水堤防遺跡】
【出水堤防遺跡】 【太田城大門(移築現存)】
大立寺の山門(和歌山市指定文化財)になっている。
【ジャンル】居酒屋
【店名】中心屋あしゃぎ
【場所】〒640-8323
   和歌山県和歌山市太田2丁目14-6
   第一生命ビル1F
【TEL】073-473-2220

【感想】
接客が良く明るく活気が店舗、人気店の様で大賑わいでした。一人でもカウンター席があるので気兼ねなく頂けます。
刺身盛も1人前で出してくれます。一切れ一切れが分厚く食べ応えがあります。
うりは左下の”朝挽き鶏のつくね”でいろいろな食べ方が出来ます。
白浜の地ビールも飲めます。




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