城名 笠岡城
住所 〒714-0081
岡山県笠岡市笠岡
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 平山城
天守構造 不明
築城主 村上隆重
築城年 弘治年間(1555-1558)
主な改修者
主な城主 能島村上氏
位置 北緯34度30分3秒
東経133度30分22秒
地図
【歴史と沿革】
標高約70m。古くから内海の景勝地として知られる。もとは、海中の一孤島おも、応神山と連続していたとも伝えられる。別名は「海松(みる)が丘」、「吸江山」、「高松の城山」と言われた。

笠岡城は弘治年間(1555-1558)に能島村上水軍の一族、村上隆重が笠岡城を築城。その後、村上景広、毛利元康が在城。関ケ原合戦後、徳川家康の所領となり、代官 小堀新助が入城。
元和2年(1616)池田備中守長幸の居城したが、元和5年(1619)備中松山城(高梁市)に移り、笠岡城は廃城となった。

明治40年(1908)未新田埋め立てのため切り下げられ、城の遺構が消滅した。
昭和31年笠岡市の都市公園となる。
(説明板より)


【感想】
城山ごと切り下げられてしまったため遺構は何もありません。
ここが城だったということは、古城山公園という名前と碑と説明板のみとなる。公園内の一番高い場所に行き周囲を見回すと笠岡市内を見渡すことが出来、その中に干拓された土地も見ることが出来る。



登城日 2014年4月28日(月)
LINK 笠岡城-Wikipedia
城主家紋 【丸に上の字】
(清和源氏頼信流)
村上氏家紋

                      

探訪
【笠岡駅付近から見た笠岡城址】 【登城口】 【衣笠山と古城山公園碑】
【干拓された笠岡湾】
この干拓に笠岡城のあった衣笠山は切り下げられた。
【眺望】 【説明板】




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