城名 上月城
住所 〒679-5523
兵庫県佐用郡佐用町上月230
入場時間 上月歴史資料館
開館日:土・日・月・祝日
開館時間:御膳10時~午後4時(年末年始は休館)
入場料 上月歴史資料館
大人:200円、高校生:150円、小中学生:100円
指定文化財
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 上月景盛
築城年 延元元年(1336)
主な改修者
主な城主 上月氏、赤松氏、尼子勝久
位置 北緯34度58分32秒
東経134度19分26秒
地図 本丸跡
二ノ丸跡
三ノ丸跡
休郭跡
上月歴史資料館
【歴史と沿革】
上月城は、鎌倉時代末期【1300年代)に、上月次郎景盛(宇野播磨守入道山田則景の息)が、大平山(樫山)に初めて築いたと伝えられる。上月氏は景盛、義景、景満と続くが、そのいづれかの時、本城を谷を隔てた南の荒神山に移したと思われる。これが現在の上月城跡で、中世山城の様態を良く残している。

赤松氏は、播磨・備前・美作三ヶ国の守護など大きな勢力を持っていたが、嘉吉の乱(1441年)で総領家が没落することになり、播磨も山名氏の支配するところとなる。その後、赤松正則が赤松氏を再興し播磨を回復するが、山名、赤松、尼子などが攻防を繰返すこととなる。

天正5年(1577)織田信長は毛利氏攻めの為、羽柴秀吉を総大将として播磨に入り、毛利に写した佐用の福原城を攻略し、高倉山に本陣を置き一万五千の軍勢で上月城を包囲し、救援に駆けつけた宇喜多直家の軍を退け、12月3日遂に上月城は落城、城主赤松政範は自刃して果てた。秀吉は、城中将士の首を悉く刎ねた上、見せしめの為、城中の女子子供二百人を串刺と磔にして備前美作播磨の国境付近にさらした。

秀吉はこの後、上月城を尼子勝久、山中鹿之助に守らしめた。上月城に入った尼子氏は一時、宇喜多勢に攻められ撤退し、宇喜多はこれを上月十郎景貞に守らしたが再び秀吉軍により落城したとされる。景貞は、敗退中櫛田の山中で自刃したと伝えられる。

再び、尼子勝久、山中鹿之助は上月城に入ったが、毛利軍は山陰、山陽の両道より三万の軍勢を以て、天正6年(1578)4月18日、上月城を包囲した。秀吉は急ぎ救援の為、高倉山に陣を進めたが、三木城攻略の為、6月26日高倉山より兵を引いた。この為、上月城は孤立し遂に7月5日勝久は毛利氏に降伏し開城自刃した。山中鹿之助は備中の毛利輝元の陣へ護送の途中、高梁川の合の渡しで斬殺され、その果敢な障害を終えた。

この天正年間の攻防が上月合戦と呼ばれるもので、上月城はその後、廃城となり今日に至っている。文政8年(1825)赤松氏落城の守将の末裔大谷義章が250回忌を営み慰霊碑を建立したものが山上に残されてる。
(上月城歴史資料館前説明板「上月城の沿革と攻防」より)


【感想】
この上月城の周囲を毛利三万が包囲し、その向こう高倉山に秀吉軍が布陣していた構図を現地に来てみると位置関係が良くわかる。上月城から秀吉軍が撤退していく様も、上月城の本丸からは見えたであろう、孤立した尼子勢のことを考えるとやるせない気持ちになった。
城としては対して大きくなく、水ノ手も山上にはなさそうなので、包囲されればたまったものではなかったであろう。



登城日 2014年5月1日(木)
LINK 佐用町HP-上月城と黒田官兵衛-
上月城-Wikipedia
城主家紋 【三つ巴に二つ引】
(村上源氏赤松氏流)
上月氏家紋
【二つ引に三つ巴】
(村上源氏季房流)
赤松氏家紋
【平四つ目結】
(宇多源氏佐々木京極氏流)
尼子氏家紋

                      

探訪

※「時を越え戦国の地へ 官兵衛ゆかりの佐用「三城」をめぐる」佐用町観光協会パンフレットより(加筆有り)
【上月城遠景】 【赤松圓心公廟所跡】
上月城へ行く手前の道の傍らにある、廟は既にない。
圓心とは赤松氏4代則村の法名。
【上月歴史資料館と紙すき文化伝承館】
【上月城跡遊歩道入口】 【上月城跡登城口】
右側を進むと供養塔がある場所になる。
【上月城戦没者合同慰霊碑】
【尼子勝久公四百年遠忌追悼碑】 【山中鹿之助追頌之碑】 【尼子勝久公追討碑の顕彰文】
【登城道】 【休郭からの眺望】 【休郭からみた本丸方向登城道】
【堀切跡】 【本丸下1段目の郭】 【本丸下2段目の郭】
右側の切岸上が本丸
【本丸虎口】 【本丸跡】 【本丸跡の説明板】
【供養塔】
真ん中の塔には「赤松蔵人大輔政範君之碑」と刻まれている。赤松正範は秀吉が最初に攻めた時の城主。
【本丸から見た二ノ丸へ延びる通路】 【通路側より見た本丸】
【本丸-二ノ丸間通路】 【二ノ丸跡】 【二ノ丸下の郭】
【二ノ丸下の郭からの眺望】
この方向に利神城があるが、目視するにはかなり厳しい。
【三ノ丸への虎口】 【三ノ丸方向より見た虎口】
【三ノ丸跡】 【三ノ丸にある下山道の指標】 【三ノ丸下の堀切】




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