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城名 | 佐用城(別名:福原城、佐用構) | ||
住所 | 〒679-5301 兵庫県佐用郡佐用町佐用1573 |
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入場時間 | - | |||
入場料 | - | |||
指定文化財 | - | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 佐用範家 | |||
築城年 | 建武年間(1334-1338) | |||
主な改修者 | - | |||
主な城主 | 佐用範家、福原則尚 | |||
位置 | 北緯34度59分49秒 東経134度21分5秒 |
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地図 | 1 | 本丸跡 | ||
2 | 土塁跡 | |||
3 | - | |||
4 | - | |||
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【歴史と沿革】 中世に築かれた代表的な「平山城」で、南面に川、後輩に山の「城堅固」の立地で、空堀、防塁、馬落としなどよくその原型をとどめている。 元弘3年(1331)4月28日、淀の久我畷(くがなわて)の戦いにおいて鎌倉方の総大将名越尾張守高家をただ一箭に打ち取った佐用兵庫介範家の築城t伝えられ、その後、赤松三十六家衆のうちの福原氏がこの城を継いだので、福原城とも言われている 戦国時代末期、東西の勢力拮抗の狭間で、西の上月城、南の高倉城、東の利神城とともに赤松一統の城郭群を形成していたが、天正5年(1577)11月、上方勢の羽柴秀吉との攻防により落城しその役割を終えた。 後世、土地の人々によって、時の城主福原藤馬允(とうまのじょう)則尚の首級を祀るため城郭に一社が造営され、「福原霊社(俗に頭様)」として今に広く崇敬されている。 (説明板より) 【感想】 こじんまりとしているが東側の道から来ると、東側には川が流れ背後に山が迫っているのが良くわかり、城址はその山下の丘の上にある。そこからの景色は田園風景で綺麗でした。 福原霊社がある場所はL字形の土塁の上に築かれておりその下には館でもあったと思われる。 |
登城日 | 2014年5月1日(木) | ||
LINK | 佐用町HP-福原城と黒田官兵衛- | |||
佐用城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【三つ巴】 (村上源氏赤松氏流) 佐用氏家紋 |
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【三つ巴】 (村上源氏赤松氏流) 福原氏家紋 |
※「時を越え戦国の地へ 官兵衛ゆかりの佐用「三城」をめぐる」佐用町観光協会パンフレットより |
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【佐用城案内板】 | 【佐用城址全景】 | 【堀切跡】 | |
【曲輪跡】 | 【土塁】 | 【土塁】 | |
【土塁】 | 【福原霊社】 | 【城主福原則尚辞世の句碑】 「死ぬなれば花の下にと思いしに 師走の花の咲くべくもなく」 |
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【福原霊社・拝殿】 | 【堀切跡から見た福原霊社(土塁)】 | - | |
【ジャンル】郷土料理 【店名】一力 【場所】〒679-5301 兵庫県佐用郡佐用町佐用1444 【TEL】0790-82-2239 【営業時間】11:00~20:00 【定休日】不定休 【感想】 佐用名物の「ホルモン焼うどん」。津山とは異なり辛めのつけダレにつけて食べるスタイル。 目の前で作られたそれはアツアツでホルモンの歯ごたえを感じながら丁度良い柔らかさのうどんがよく合います。それに甘みのある春キャベツにネギのシャキシャキ感がたまりませんね。 |