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城名 | 花隈城(別名:花熊城、花隅城、鼻熊城) | ||
住所 | 〒707-0417 兵庫県神戸市中央区花隈町5-4 |
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入場時間 | - | |||
入場料 | - | |||
指定文化財 | - | |||
城郭構造 | 連郭式平山城 | |||
天守構造 | 不明(存在していたと推定される) | |||
築城主 | 荒木村重 | |||
築城年 | 永禄11年(1568) | |||
主な改修者 | - | |||
主な城主 | 荒木元清 | |||
位置 | 北緯34度41分17.01秒 東経135度10分58.35秒 |
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地図 | 1 | 花隈城址 | ||
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【歴史と沿革】 花隈城は、永禄10年(1567)織田信長が中国へ勢力を伸ばす手段として、この土地に摂津の有力な武将荒木村重に命じて築かせ、荒木志摩守元清が居城した。天正6年(1578)村重が信長に背いたとき、花隈城は池田信輝(恒興)らに攻められて、天正8年(1580)8月2日ついに落城した。 城の地点は海に面して突き出たハナクマの名の通りの台地で海陸の要害地である。城の規模は古図によると、本丸の西北隅に天守、東南隅に櫓を設け、二の丸、三ノ丸と北に続き、その東に侍町と足軽町があり、近世城郭の形態を完備した偉容を示していたと伝えられるが、建物の構造などは詳しく分からない。城の西には花隈町があった。 現在の地形では大体東は県庁、西は善福寺(モダン寺)、南はJR東海道線高架、北は地下鉄西神・山手線の区域で、東西約350m、南北約200mであったと思われる。 (説明板の内容を編集) 【感想】 現在はすでに宅地化され、城址である花隈公園は、花隈駐車場になっている。そのため外観は模擬石垣であり、公園部分に説明板や模擬天守台が置かれている。模擬とはいえ城址として残されている方が奇跡なのであろう。 |
登城日 | 2014年5月3日(土) | ||
LINK | 花隈城-Wikipedia- | |||
城主家紋 | 【牡 丹】 (藤原北家秀郷流) 荒木氏家紋 |
【花隈城址遠景】 駐車場ですけど・・・ |
【模擬石垣】 | 【城址説明板】 | |
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【模擬本丸】 | 【模擬天守台】 | - |