城名 尼崎城(別名:琴浦城、尼丘城)
住所 〒660-0826
兵庫県尼崎市北城内88-12
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 平城
天守構造 複合式層塔型4重4階(1618年築・非現存)
複合式層塔型4重5階(鉄筋コンクリート製・2018年建造中)
築城主 戸田氏鉄
築城年 元和3年(1617)
主な改修者 青山氏
主な城主 戸田氏鉄、青山氏、松平忠喬
位置 北緯34度42分51.76秒
東経135度25分14.01秒
地図 尼崎城址公園
【歴史と沿革】
近世尼崎城は、元和3年(1617)に尼崎藩主となり五万石を領有した戸田氏鉄が翌元和4年から大阪城の西の固めとして築城にかかり、数年ののち完成させた。藩領は尼崎から須磨までに及んだ。

四層の天守閣を持つ本丸は三重の堀で守られ、川と海に面した地理的条件を巧みに利用し、海陸両面の備えとして設計された。城地は300m四方で、築城時にはまだ築地町がなく、直接海に面していた。

戸田市の築城以後、城主は青山氏、松平氏と変わり、その間何度も改造と増築が行われているが、とりわけ青山氏時代には、櫓を増やしたり石垣を築き直すなど、大きな改造工事が行われた。城下町が完成したのも青山氏の時代であった。

海上からの街道からも眺められ「琴浦城」、「尼丘城」と呼ばれた城も、明治6年(1873)の廃城令によって取り壊された。大正末には一部残っていた内堀も完全に埋立られてしまった。
(北浜公園内説明板より)

尼崎市で創業した家電量販店ミドリ電化(現エディオン)の創業者が昨年、私財10億円を投じてで天守閣を復元している。
新しい天守は江戸中期の「尼崎城分間絵図」などを基に、「四重天守および二重付櫓」の外観を復元。エレベーター付きの鉄筋コンクリート5階建てで、展望室や資料の展示室などを設けるとのこと。
予定地は実際に合った元の場所から約300メートル西になり、実際の天守閣を東西で反転させた形になるといいます。(2018年9月2日現在)


【感想】
現在は模擬とはいえ城址公園内に石垣が築かれ、嘗てここに城があったことを示してくれていることはありがたいことだと思う。
城址碑があると言われる城内中学校を地図を見て探すのだがどこにもそのような名前の中学校はなく、それに当たるのは多分明城小学校だろうと行ってみるとビンゴでした。後で調べたところ説明板に書かれている城内中学校は統廃合されてしまったようです。
地名も目標となる建物もの時代とともに変わって行ってしまうものなのだなと思いました。

また、この尼崎城は荒木村重とは関係が無いようで、荒木村重が有岡城から逃げてきた尼崎城はこの近くにあった大物城のことらしいです。


登城日 一回目:2014年5月3日(土)
二回目:2018年9月2日(日)
LINK 尼崎城-Wikipedia-
城主家紋 【六つ星】
(北家藤原氏流)
戸田氏家紋
【無字銭】
(藤原北家花山院流)
青山氏家紋

                      

探訪

※北浜公園 説明板の「尼崎城絵図 詳細図」より(加筆あり)
【尼崎城址公園】 【尼崎城址公園】 【模擬復元された石垣及び土塀】
【模擬復元された石垣及び土塀】 【模擬復元された石垣及び土塀】 【三ノ丸公園】
【尼崎城址碑】
現在は明城小学校(旧城内小学校)南側にある。
【尼崎城模型】
尼崎市立明城小学校内に教職員と児童が作ったものが置かれている。
【尼崎城天守模型】
【本丸跡】
現在は明城小学校になっている。
【北浜公園】
尼崎城堀跡に作られた公園。
【北浜公園にある説明板】
上にあげている尼崎城絵図 詳細図も記載されている。
建造中の復元天守~2018.9.2(日)現在~
【阪神尼崎駅ホームより見た復元天守】 【阪神尼崎駅ホームより見た復元天守(拡大)】 【庄下橋より見た復元天守】
【整備中の尼崎城址公園】 【戸田左門氏鉄公顕彰碑】 【整備中の尼崎城址公園】
【整備中の尼崎城址公園】 【整備中の尼崎城址公園】 【整備中の尼崎城址公園】



Back



inserted by FC2 system