powered by egmap.jp |
城名 | 園部城(別名:薗部城、園部陣屋) | ||
住所 | 〒622-0004 京都府南丹市園部町小桜町97番地 |
|||
入場時間 | 城門、番所、巽櫓は薗部高校の敷地なので中に入れない場合もある。 | |||
入場料 | - | |||
指定文化財 | 京都府指定文化財 | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | なし(小麦山頂には三層の小麦櫓が建っていた) | |||
築城主 | 小出吉親 | |||
築城年 | 元和5年(1619) | |||
主な改修者 | 小出英尚 | |||
主な城主 | 小出氏 | |||
位置 | 北緯35度6分18.35秒 東経135度28分10.26秒 |
|||
地図 | 1 | 櫓門 | ||
2 | 番所 | |||
3 | 巽櫓 | |||
4 | 小麦櫓跡 | |||
5 | 竪堀 | |||
【歴史と沿革】 京都府南丹市(旧船井郡園部町)にあった平城。江戸時代の園部藩の藩庁が置かれた陣屋。 但馬国出石から移封された外様大名の小出吉親が元和5年(1619)から2年の歳月をかけて築城した城である。 園部盆地の小麦山の東側の高台に築かれ、川を天然の堀として利用し、さらに堀を巡らせたもので、陣屋とはいえ堅固な城郭の体を成していた。その後も、小出氏10代の居城として明治維新を迎えた。幕末の戊辰戦争時、京都御所の安全が問題視され、園部陣屋は明治天皇の行在所として 候補にあがり、明治政府の許可を得て明治元年(1868)から2年の歳月をかけ、櫓門・巽櫓、三層櫓などが築かれて、城としての姿を整えたという珍しい歴史を持っている。 このころの園部城は南北600m、東西400mの城域を持ち、約2kmの堀をめぐらし、大広間・大書院を容する御殿のある本丸の四隅には巽・太鼓・巣鴨・乾の4基の櫓を配していた。しかし、明治5年(1872)、園部城は廃城となり、多くの建物が取り壊され、現在は京都府立園部高等学校の敷地となっている。同校の敷地内には、隅櫓や2層櫓門など一部の建物が現存する。櫓門は同高校の正門として利用されている。 隣接する公園に、天守風の建造物(国際交流会館)があるが、園部城とは関連はない。また、かつての園部城の太鼓櫓が市内の安楽寺に移築されて現存する。 【感想】 園部駅からバスが有りますが本数は少なくとても利用できたものではありませんでした。園部駅にはコインロッカーもないため大荷物だとちょっと大変です。行きはタクシーでしたが帰りは徒歩で行きました。十分歩ける範囲でした。 GW中で園部高校内に入れるか心配しましたが部活動をやっていたため門も開いており入ることが出来、見学が出来ました。現存門をそのまま正門として利用している学校って羨ましいですね。 三層櫓のあった小麦山には何もないとは思っていたのですが、竪堀があり感動しました。 |
登城日 | 2015年5月2日(土) | ||
LINK | 京都・園部情報サイト-園部町の歴史- | |||
園部城-Wikipedia- | ||||
城主家紋 | 【額に二八文字】 (藤原南家二階堂流) 小出氏家紋 |
【園部城址碑と説明板】 | 【櫓門・番所・巽櫓】 定番の構図です。 |
【櫓門】 今は園部高校の正門となっている。 |
|
【櫓門・番所・巽櫓】 園部高校内より。 |
【櫓門の梯子】 | 【番所】 | |
【巽櫓】 | 【巽櫓】 | 【国際交流会館】 園部城とは関係のない天守風建物。 |
|
【国際交流会館】 | 【堀跡】 堀跡にプールとは何とも。 |
【小向山】 この山頂に三層の小向櫓が建っていた。 |
|
【小麦山頂への道】 | 【小麦山の竪堀】 | 【小麦山の竪堀(上から)】 | |
【小麦櫓跡】 山頂は意外に広く片側に慰霊碑、反対側には栽培をしているのかフェンスに囲まれた場所に木々が植わっていた。 |
【大手門跡】 | 【釘貫門跡】 |