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城名 | 西方院山城(別名:瑜伽山城) | ||
住所 | 〒630-8301 奈良県奈良市高畑町 |
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入場時間 | - | |||
入場料 | - | |||
指定文化財 | - | |||
城郭構造 | 平山城 | |||
天守構造 | - | |||
築城主 | 古市胤仙(ふるいちたねのぶ) | |||
築城年 | 文安元年(1444)/文明11年(1479)再構築 | |||
主な改修者 | - | |||
主な城主 | 古市氏 | |||
位置 | 北緯34度40分44秒 東経135度50分9秒 |
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地図 | 1 | 城址碑 | ||
2 | 五輪塔など | |||
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【歴史と沿革】 文安元年(1444)、大乗院前門跡・経覚を擁し筒井・成見院方と対立していた越智方の武将・古市胤仙(ふるいちたねのぶ)は鬼薗山城を築こうとしていたが、この地が大乗院境内であったことから計画は難航し、向かいの西方院山に代わりの城を築くことにした。しかし、結局鬼薗山での築城が可能になったため、西方院山城は未完のまま放棄された。 その後応仁の乱(1467~1477)での市中合戦で城塞が必要となり、陣所として文明11年(1479)再び築城され、9月19日の完成とともに古市氏の軍勢がこの城に入った。しかし、10月2日に筒井勢の襲撃を受け落城。わずか3日で西方院山城はその歴史を閉じたのである 【感想】 事前にどこから登場すればよいか確認していたのですが、いざ現地に行くと道路は交通量も多く、奈良ホテルの駐車場にも出入りが頻繁にありましたが、そこは堂々と登り始めました。登り口は問題ないのですが、上に登る道は見当たりません。そこで駐車場からやや奥に入り人目を避けるように直登。すると目の前が開けます。左方た面には堀切と土橋がありその先には鹿がいて向こうもビックリなのでしょう慌てて逃げ出していきました。その後はゆっくりと見て回り、西側に歩を進めると一番の見所である二重堀があります。いや~3日で落城した城の割には遺構がしっかり残っていて感動しました。 |
登城日 | 2015年5月2日(土) | ||
LINK | 気分はコクジン 新館-西方院城山- | |||
城主家紋 | 【丸に楓】 (清原氏後裔?) 古市氏家紋 |
【西方院山城址】 | 【西方院山城址】 | 【登城口】 奈良ホテルの駐車場からフェンスに沿って右へと進む。開けた場所で登るのは避けたい。 |
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【曲輪2(仮称)】 | 【曲輪2(仮称)の土塁】 | 【堀切と土橋】 城の西側にある。 |
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【南(駐車場)側堀切】 | 【土橋】 曲輪2(仮称)と曲輪1(仮称)を繋いでいる。 |
【北(荒池)側堀切】 | |
【曲輪1(仮称)】 西端にある曲輪 |
【青木明神・権大夫明神・末廣明神】 曲輪2(仮称)の下にあった石碑。他にも城址にはこのような明神様を祀る石碑が点在する。 |
【曲輪2(仮称)の切岸】 | |
【二重堀】 | 【一乃峰 末廣大明神の碑】 | 【空堀】 | |
【二重堀と土塁】 | 【二重堀と土塁】 | 【二重堀と土塁】 | |
【二重堀の土橋部分】 | 【城址からの眺望】 | 【曲輪2(仮称)にあった標柱】 「(注意)この地区において、この地区の現状を変更する行為をする場合は、知事の許可を要しますのでご注意ください」と書かれている。 |