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城名 | 御土居 | ||
住所 | 〒603-8448 京都府北区鷹ヶ峯旧土居町2,3 他 |
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入場時間 | − | |||
入場料 |
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指定文化財 | 国指定史跡 | |||
城郭構造 | − | |||
築城年 | 天正19年(1591) | |||
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築城主 | 豊臣秀吉 | ||
位置 | 北緯35度2分44秒 東経135度44分9秒 他 |
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地図 | 1 | 御土居跡@ | ||
2 | 御土居跡A※緯度経度で示す位置 | |||
3 | 北野天満宮 御土居跡 | |||
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5 | − | |||
【歴史】 御土居は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街地を守る堤防として、天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。 台形の土塁と堀(堀の一部は川を利用)からなり、その延長は22.5kmに及び、東は鴨川、北は鷹ヶ峯、西は紙屋川、南は九条あたりに沿って築かれました。土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び、要所にはいわゆる七口を設け、洛外との出入口としました。 多数の人々を動員して築造した御土居ではありましたが、江戸時代になると、堤防としての役割を果たしていたものなどを除いては無用なものとなり、やがて近代になると開発により次々と壊され、北辺を中心に部分的に残存するのみとなりました。 ここ鷹ヶ峯に残る御土居は、御土居の北西隅にあたる重要な部分であり、京都の沿革を知るうえに、また広く我国における都市の発達をたどる重要な遺跡として、国の史跡に指定されています。 (説明板より) 【感想】 ぶらタモリで御土居巡りをしたことにより、多くの人が訪れているようです。寺社巡りのついでに寄ったのですが、北東の一部しか見ていませんが、その規模は実感することが出来ました。ただこの御土居を築いた時には天下も統一されていましたので外敵などいないので都に住む天皇家の人々に対して権威を見せつけるのが一番の目的だったのではと思います。 |
登城日 | 一回目:2015年11月2日(月) 二回目:2016年12月17日(土) |
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LINK | 京都市情報館-御土居- | |||
北野天満宮 | ||||
御土居-Wikipaedia- | ||||
城主家紋 | 【五七の桐】 豊臣氏家紋 |
※@の案内板より(周ったのは@とA) |
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※@の案内板より |
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【@御土居跡】 千本口付近になる。 |
【@御土居跡】 左側が洛中、右側が堀跡で洛外になる。 |
【@御土居跡】 | |
【A御土居跡】 唯一公開している御土居 |
【A御土居跡】 | 【A御土居跡の説明板】 | |
【A御土居跡上部】 | 【A御土居跡の碑】 | 【A御土居跡上部】 | |
【A御土居堀側】 御土居が高さが実感できる。 |
【A御土居下に流れる紙屋川】 | 【A御土居部分跡】 下に流れる紙屋川まで斜面が続く。旧御土居町。 |
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【北野天満宮:御土居の紅葉碑】 北野天満宮内の御土居は紅葉の名所と知られ管理されているため入れる時期が決められているので注意!! |
【御土居説明板】 | 【北野天満宮内御土居跡】 橋のあるのが見えるのでその高さが想像できます。 |
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【北野天満宮内御土居上】 こちらが洛中側の土塁になる。 |
【北野天満宮内御土居跡】 | 【北野天満宮内御土居跡と説明板】 | |
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【北野天満宮内御土居跡 堀底】 | 【北野天満宮内御土居跡】 こちらは洛外側の土塁になる。 |
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【ジャンル】和菓子 【店名】都本舗 光悦堂 【場所】〒603-8448 京都府京都市北区鷹ヶ峯旧土居町1-203 【TEL】075-492-0798 【営業時間】9:00〜19:00 【定休日】木曜日 【感想】 名物「御土居餅」で有名なお店。 御土居@の向かいに建つので、御土居見学の後に購入してみてはどうでしょう。甘さも控えめな餡子が美味しいですよ。 |