城名 弓木城(別名:一色城)
住所 〒629-2263
京都府与謝郡与謝野町弓木
入場時間
入場料
指定文化財
城郭構造 山城
天守構造
築城主 稲富氏
築城年 鎌倉時代末期
主な改修者 稲富氏、一色氏
主な城主 稲富祐直、一色義定
位置 北緯35度33分53秒
東経135度8分48秒
地図 本丸跡
二ノ丸跡
腰曲輪
土塁
水無月神社参道
【歴史】
京都府与謝郡岩滝町(現在は与謝野町)の一帯は、律令国家の時代には拝師郷と呼ばれる行政地域の西方にあたり、与謝郡の存在も推定されています。鎌倉時代になると岩滝町から宮津市須津にかけては稲富保と呼ばれ、摂関家近衛家の所領となりました。

弓木城は、この稲富保を名字の地にした稲富氏が室町時代後期以降根城とし、丹後国守護一色氏が最後の拠点とした丹後地方を代表する中世の山城ですが、その詳しい歴史はわかっていません。稲富氏については「寛政諸家系図伝」に「はじめは山田氏なり。丹後国忌木(=弓木)の城主たりし以来。あらためて、稲富氏となる。」とあり、初代稲富氏のもとの姓は山田氏で、丹後弓木城主となってから改姓して稲富氏を名乗ったことになります。そして、二代目直時のときに、丹後国守護一色氏の家臣となったようです。

天正10年(1582)織田信長の命令をうけた細川藤孝(幽斎)、忠興(三斎)父子の丹後攻略により、一時丹後一色氏は弓木城に立て籠もりましたが、抗戦の甲斐なく滅亡しました。四代直家は、当時希代の鉄砲の名手として一色氏に仕えていましたが、運よく滅亡をまぬがれ一時細川氏に仕えた後、豊臣秀吉、徳川家康に珍重され、晩年は、尾張徳川家の祖義直(家康の第九子)に仕えました。

今日の丹後弓木城は、一色氏最後の地としてあまりにも著名ですが、もともとは稲富氏の居城であり、丹後の中世山城を代表する弓木城の滅亡は、まさに丹後における中世の終焉を象徴する画期的な事件であったといえましょう。
(説明板より)

【感想】
弓木城の最寄り駅は岩滝口駅だと思ったのですが、天橋立の近くということもありバスもあるようです。バスだと結構複数の駅によるので公共機関で行けれる方は調べてから行った方が良い。
城跡は見た感じこじんまりとしていますが四方が急峻な崖で、段々の切岸が見事です。
本丸にある旧水無月神社(今は神輿倉庫のみ)の参道が下から一直線に本丸まで作られているため改変も一部あるがその他は当時の感じを残しているので歩き回ると良いでしょう。
この参道ですが、丁度見ている際に地元の方に「お祭りの際は本丸跡にある水無月神社の神輿倉庫から神輿が出され急峻な参道を使用して神輿を下す」とお聞きしました。この急峻なところを神輿を担ぐって驚きでした。

 
登城日 2016年3月19日(土)
LINK 弓木城-Wikipaedia-
城主家紋 【木瓜に一文字】
(清和源氏足利氏流)
一色氏家紋

                      

 探訪

※駐車場内説明板の城山公園案内図より(加筆有り)
【駐車場の説明板】
汚れきっており良く読めません。
@段々の切岸】
下から見るだけでも段々の切岸が良くわかります。
【登城口のひとつ】
稲荷神社の参道
A土塁】
ここは小さな腰曲輪なのであろう。
B腰曲輪を結ぶ道】 【稲荷神社】
【稲荷神社より見た本丸】 C本丸北側切岸】 D腰曲輪】
E腰曲輪】 【水無月神社 神輿倉】
昔は神社もここにあったが移転したそうで、現在は神輿が保管されている倉庫になっています。
【本丸跡】
南北に細長い曲輪で四方は崖となっている。
F弓木城址碑】 G水無月神社の参道】
本丸南側に虎口(竪堀)のように開かれている場所は、水無月神社の参道になっている。この箇所は改変されている。水無月神社のお祭りがあるときはここから神輿が下ろされる。
H本丸西側の切岸】
I腰曲輪】 J腰曲輪から二ノ丸へと続く城道】
間に竪堀のような水無月神社の参道が通る。
GJの通路から見上げた参道】
竪堀のように急峻である。
KJの通路より見下ろした参道】
ここからは竪堀だったのか後世に作られた参道なのかわからない。。
L本丸と二ノ丸の間の曲輪(堀切か?)】 LよりみたK参道】
【本丸東側の切岸】 L本丸と二ノ丸の間の曲輪(堀切)】
幅の広い堀切のような感じもある。
M城址東側の切岸】
N二ノ丸北側】 【二ノ丸東側の腰曲輪】 O二ノ丸跡】
P二ノ丸東側の段々の腰曲輪】 【二ノ丸から見た本丸方向】 P二ノ丸東側の段々の曲輪】
P東側の腰曲輪から見た二ノ丸方向】 P腰曲輪の切岸】 Q腰曲輪下】
Q城址東側下からみた城址】 M二ノ丸北側下から見た城址】
右下の道路は大手筋にあたる。
R登城口】
R付近より見たS出丸跡】 S出丸跡】 S出丸跡】
土塁のように細長い曲輪。
S出丸跡】 K水無月神社参道口】 K水無月神社参道(竪堀?)】
水無月神社のお祭りの際は、この道を使用して神輿が下ろされます。
前は担ぎ、後はロープで引っ張るというやり方で、階段もない斜面を『よーいさ』『よーいしょ』の掛け声で少しづつ下ろします。




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