城名 有子山城(別名:有子城、高城)
住所 〒668-0214
兵庫県豊岡市出石町内町他
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 連郭式山城
天守構造 不明
築城主 山名祐豊
築城年 天正2年(1574)
主な改修者
主な城主 山名氏、前野氏、小出氏
位置 北緯35度27分19.61秒
東経134度52分41.23秒
地図 本丸跡
千畳敷跡
大堀切
井戸曲輪跡
堀切と土橋
【歴史】
「但馬山名氏」
 山名氏は新田氏の流れをくむ関東上野国の武士で、足利尊氏にしたがって室町幕府成立の騒 乱で活躍。室町幕府の四職家で最大級の大名となった山名氏は、その一族が但馬、因幡、丹波、 美作など日本全国66ヵ国中11ヵ国の守護職を兼帯して「六分の一殿」と呼ばれた。明徳の乱によ り一族の内紛を起こして衰退したが、嘉吉の乱で勢力を回復し、応仁の乱では宗全(持豊)が西 軍の総帥となった。但馬はこの山名氏の根拠地であり、戦国時代まで一貫して山名氏が守護大 名としてこの但馬国を治めた。

 しかし、戦国時代に入って山名氏はその勢力を失い、永禄12年(1569)に織田軍の木下秀吉の但 馬侵攻により、当時居城であった北方約2.5kmにある此隅山城が落城。この後に山名祐豊が築い た城がこの有子山城で、天正2年(1574)のことという。またその名は「子盗(此隅)の名を嫌って 「有子」と命名されたものという。しかし、天正8年(1580)ふたたび織田軍の羽柴秀長の但馬侵 攻によって有子山城は落城、城主は因幡に出奔した。このあと羽柴秀長が入城し、のち天正13年 (1585)には前野長康が5万石で入城するが、豊臣秀次事件に連座して改易され、播州龍野から 小出吉政が入城。江戸時代に入りその子吉英の近世出石城築城により廃城となった。

「城郭遺構」
  最上部に石垣によって築かれた本丸とその西方に階段状に続く郭があり、また、本丸の東南 に千畳敷と呼ばれる曲輪が残っている。豊臣時代のいずれかの城主によって改築されたものと 思われる。山腹にも小規模な曲輪や堀切などの空堀を見ることができ、中世山城の特徴を今に よく伝えられている。さらに周辺には石垣に用いられている石と良く似た石が露出しており、石 垣の山中から採取されていたことを思わせる。
(説明板より)

【感想】
急峻な尾根伝いの登城道(遊歩道)を約35分登っていくと竪堀が見えその次には堀切と土橋がといった具合に次々と遺構が見られる。そのため登って来た疲れが吹っ飛んでしまう。それ以降は井戸曲輪の石垣から連続する曲輪の石垣、山頂の大堀切など見所が多い。
自分のペースでゆっくりと登れば疲れもそれほど感じないが、下りの方は無理せず登城道に張られている虎ロープを使用して注意して降りれば良いでしょう。

 
登城日 2016年3月20日(日)
LINK 但馬國出石観光協会公式観光ガイド
有子山城-Wikipaedia-
城主家紋 【二つ引両】
(清和源氏新田氏流)
山名氏家紋
【丸に違い鷹の羽】
(良峯氏流)
前野氏家紋

                      

 探訪

※説明板の縄張図より(加筆有り)
@登城口】
有子山城へは出石城稲荷曲輪脇から登り始めます。
【有子城址碑】 【登城道】
急峻な尾根伝いを約45分登っていきます。
【登城道(遊歩道)本丸まで850m付近】 【登城道(遊歩道)本丸まで720m付近】 A竪堀】
B堀切と土橋】 【登城道】 【登城道(遊歩道)本丸まで500m付近】
【登城道】 C腰曲輪】 C腰曲輪】
D腰曲輪】 【登城道】 【登城道】
登城道には上から落ちてきたものだろうか石垣の石ののようなものが散在している。
E井戸曲輪】 E井戸曲輪の段々の石垣】 【登城道(遊歩道)本丸まで240m付近】
右奥の曲輪が
Fの腰曲輪になる。
F腰曲輪】 【登城道(遊歩道)本丸まで240m付近】 G第六曲輪石垣】
G第六曲輪石垣】 G第六曲輪石垣とH第五曲輪石垣】 【登城道】
【上からH第五曲輪跡とG第六曲輪跡】 H第五曲輪跡】 H第五曲輪跡より見た四曲輪方向】
【四曲輪脇の登城道より見た三ノ丸石垣】 I第四曲輪の遺構】
建屋なのか井戸なのかわからないが石組遺構がある。
I第四曲輪から見た第三曲輪の石垣】
I第四曲輪】
土塁も見られます。
【第三曲輪の西側石垣】 【第三曲輪南西隅石垣】
【第三曲輪南側石垣】 【第三曲輪南側石垣】 【本丸南側下城道】
J大堀切】
本丸(左側)と千畳敷(右側)の間の大堀切、有子山山頂にこれほど大規模な堀切があることに驚きます。
【大堀切側より本丸へ続く道】 【本丸から見たN千畳敷跡】
【本丸側より見降ろしたJ大堀切】 K本丸跡】 【本丸土塁】
【本丸にある説明板と東屋】
城下からでも良く見えます。
【本丸からの眺望】 【本丸から見たL二曲輪跡】
【本丸西側石垣と虎口】 L二曲輪跡】 【二曲輪虎口とM三曲輪跡】
【二曲輪虎口からみた本丸西側石垣】 M三曲輪跡】 【三曲輪跡から見た二曲輪虎口】
【二曲輪南側石垣】 【千畳敷の切岸】 N千畳敷跡】
N千畳敷跡】
有子山城で一番広い曲輪で内部は低い石垣により区切られている箇所がある。
N千畳敷跡】 N千畳敷跡】
N千畳敷跡より見たK本丸とJ大堀切】 N千畳敷跡より見たK本丸とJ大堀切】 【千畳敷南側切岸】
千畳敷南側には城を整備するための整備道が続く。




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