城名 高嶺城(別名:鴻の峰城、鴻之峯城)
住所 〒753-0071
山口県山口市滝町
入場時間
入場料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 連郭式山城
天守構造 不明
築城主 大内義長、毛利元就
築城年 弘治2年(1556)
主な改修者
主な城主 大内義長、市川経好、柳沢元政、佐世元嘉
位置 北緯34度11分3.3秒
東経131度27分45.0秒
地図 頂部郭(主郭)跡
石垣
井戸
【歴史】
鴻の峰は、山口市街の西北に位置する標高338mの孤峰。高嶺城はこの山の頂上部を中心に築かれ、四方に延びる尾根に曲輪を配した。

周防・長門を本拠とする戦国大名の大内義長は、大内氏館の後詰の城として弘治2年(1556)に高嶺城を築いた。ところが完成しないうちに毛利氏の攻撃が始まり、結局城を放棄して長門の勝山城に逃れ、やがて自刃して果てた。高嶺城は、毛利氏によって築城が再開され、完成後、城代として市川経好を置いた。

永禄12年(1569)、大内氏再興をめざす大内輝弘が山口に侵攻してきて、高嶺城を囲んだ。この時、経好は九州に出陣中だったため、その妻女がわずかな守備兵とともに応戦して、城を守り抜いた。輝弘は九州から引き返してきた毛利氏により潰走させられ、防府の茶臼山で自刃した。

元和元年(1615)の一国一城令により、高嶺城は破却されることになり、1638年に廃城となった。

遺構として、石垣、曲輪、井戸などが残っている。
(参考資料:「日本の城がわかる事典」より)

【感想】
山口駅から楽をしようとタクシーで送信所まで行こうと乗ったのですが、この車では無理と言われ、仕方なしに山口大神宮で下車、そこから登城しました。頂上まで約20分(途中写真など撮らなければ)、ただ途中に指標が全くなく岩戸社の所で迷います。
逆方向に行ったとしても送信所の下付近まで行けるのでそこから若干直登すれば行けるには行けます。
主郭下には、苔むした石垣が残っています。
こんな山城なのに堀切が目に見えてないのは珍しいかもしれません。
 
登城日 2016年8月7日(日)
LINK 大内文化の遺産-高嶺城跡-
高嶺城-Wikipaedia-
城主家紋 【大内花菱】
(渡来系多々良氏流)
大内氏家紋
【一文字三つ星】
(大江氏流)
毛利氏家紋

                      

 探訪

※頂部郭の案内板より(加筆有り)
【山口大神宮からの登城口】 【登城口】 【登城道】
【登城道】 【稲荷神社鳥居】 【登城道】
稲荷神社を抜けていきます。
【岩戸社鳥居】
山口大神宮の奥社にあたる。
【岩戸社の石垣】
ここを上がって右に行くのが登城道、左に行くと直登する羽目になります。
【岩戸社の石垣】
【岩戸社】 【岩戸社】 【岩戸社】
【郭11】 【郭10】 【郭9】
【郭8】 【郭8にある城址碑と説明板】 【送信所】
この場所に車を止められますが、ここに来るまでの道は狭いので注意が必要です。この部分で城域が2つに分かれているので堀切跡なのかもしれません。
【送信所】
この脇を通って主郭を目指します。
【郭6】
ここには休憩所があります。
【郭5】
【郭3】 【郭3】 【郭3】
【郭2】 【郭2】 【郭2】
【主郭切岸】 【主郭入口】 【主郭下帯郭】
【主郭下帯郭】 【井戸跡】 【主郭石垣】
【主郭石垣】 【主郭石垣】 【主郭石垣】
【主郭石垣】
苔むした石垣が良い感じに残っています。
【主郭石垣】 【主郭石垣】
【主郭石垣】 【帯郭と主郭石垣】 【主郭坂虎口】
【主郭下郭】 【主郭石垣】 【主郭虎口】
【頂部郭(主郭)】 【主郭の城址碑と説明板】 【高嶺城遠景】
観光〜山口大神宮〜
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【石段】 【外宮・内宮】 【外宮】
【内宮】 【籾置岩(もみおきいわ)】




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