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城名 | 山口城(別名:山口屋形、山口政庁、山口政事堂) | ||
住所 | 〒753-0071 山口県山口市滝町 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 旧山口藩庁門:山口県指定有形文化財 | |||
城郭構造 | 平城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 毛利敬親 | |||
築城年 | 元治元年(1864) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 毛利氏 | |||
位置 | 北緯34度11分6秒 東経131度28分19秒 |
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地図 | 1 | 旧山口藩庁門 | ||
2 | 水堀 | |||
3 | 山口県資料館 | |||
4 | − | |||
5 | − | |||
【歴史】 山口県山口市滝町(周防国)にあった平城。 元治元年(1864)毛利敬親が、山口の一露山の麓に築城し、萩城から移り居城とした。長州藩内では山口屋形といい、藩外では山口城と呼んだ。御殿は、萩城の御殿を解体して移築した。水堀をめぐらせた程度で、天守もなかった。 第一次長州征討の時、敬親は幕府に対して恭順の意を示し、完成したばかりの城の一部を破却して萩城に戻ったが、慶応2年(1866)に再び政庁を山口城に移転した。同年の第二次長州征討では、山口城は政治・軍事の拠点として機能、長州藩に圧倒的な勝利をもたらした。 明治維新を迎え、明治4年(1871)城内に山口県庁が置かれた。明治6年(1873)陸軍省の所管になったが、同年大蔵省の所管に移り廃城となった。水堀の一部と表門が現存しているほか、大正期に旧城内に建てられた旧県庁舎と旧県議事堂が、山口県政資料館として利用されている。 (参考資料:「日本の城がわかる事典」より) 【感想】 遺構は旧山口藩庁門と水堀、そして土塁のみですが土塁が見つかりませんでした。 城跡には県庁が鎮座し、藩庁門越しに高嶺城が見えます。 |
登城日 | 2016年8月7日(日) | ||
LINK | 山口城-Wikipaedia- | |||
城主家紋 | 【一文字三つ星】 (大江氏流) 毛利氏家紋 |
【旧山口藩庁門と土橋】 後に見えるのが高嶺城 |
【水堀】 | 【山口城跡】 山口城跡に建てられた現県庁舎 |
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【山口県政史料館入口】 この下に水堀があります。 |
【水堀】 | 【山口県政史料館】 山口城跡に建てられた旧県庁舎 |