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城名 | 三田城(別名:三田陣屋、車瀬城、三田古城) | ||
住所 | 〒669-1531 兵庫県三田市天神二丁目 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | − | |||
城郭構造 | 平山城・陣屋 | |||
天守構造 | 天守があった可能性あり | |||
築城主 | 摂津有馬氏 | |||
築城年 | 不明(多説あり) | |||
主な改修者 | 荒木平太夫(木下重樫)、山崎片家 | |||
主な城主 | 有馬氏、荒木平太夫、九鬼氏 | |||
位置 | 北緯34度53分12.78秒 東経135度13分16.10秒 |
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地図 | 1 | 三田陣屋跡・城址碑(三田小学校) | ||
2 | 三田城跡(有馬高等学校) | |||
3 | 空堀 | |||
4 | 水堀 | |||
5 | 大池 | |||
【解説】 三田の地は、摂津国、播磨国、丹波国を結ぶ要衝の場所で、有馬郡の中心として古くから栄えていた。三田が門前町として開けてきたところだといわれるのは奈良時代に金心寺という大寺があったからである。郡内には有馬温泉があり、これが再三にわたり激しい戦力争いが行われるきっかけともなった。 三田城の前身と言われている車瀬城がいつ頃築城されたのかははっきりしておらず、摂津有馬氏から戦国時代には有岡城主荒木村重の家臣荒木平太夫が城主で、平太夫は村重が織田信長に謀反して討伐されると開城し、後に羽柴秀吉に従って因幡国若桜へ転封となった。 天正10年(1582)羽柴秀吉の家臣山崎堅家が城主となり、後にその子家盛が継いだ。 関ヶ原合戦で家盛は西軍として丹後国田辺城攻めに参陣するが、義兄の池田輝政の尽力などによって免れ、因幡国若桜へ転封となった。 慶長6年(1601)有馬則頼が入封するが慶長7年(1602)に没し、遺領は嫡男で丹波国福知山城主の有馬豊氏が継いで併合される。元和6年(1620)大坂の陣の功によって有馬豊氏は筑後国久留米へ転封となる。 寛永3年(1626)出羽国上山から松平重直が3万石で入封するが、寛永10年(1633)重直は豊前国龍王へ転封となった。 寛永9年(1632)に九鬼守隆が亡くなると隆李と弟久隆が相続争いをおこし九鬼久隆が家督を継いだが、寛永10年(1633年)久隆は五万五千石から三万六千石に減封されて志摩国鳥羽城より三田へ転封となり、弟の隆李は新封二万石で丹波国綾部に入部した。 三田に転封となった久隆は新城を築くことを許されず、車瀬城跡に三田陣屋を構えて、以後明治まで九鬼氏が続いた。 九鬼氏以前の領主は荒木・山崎・有馬・松平と続いたがその居城(これが三田城か?)は明らかではない。旧市民病院裏の舌状高台あたりを「古城」と呼んでいるので、名のとおりそこであるかも知れない。城跡から屋敷町一帯にかけて古瓦や礎石・中世の石造物などが出土している 市立三田小学校校地は、江戸時代鳥羽より移封された藩主九鬼氏の城館跡である。県立有馬高等学校と三田小学校との間にある道沿いの濠は、本丸館と二の丸との境の堀であった。 【感想】 城の遺構としては堀が残る程度であるが、舌状台地の上にあり、曲輪の区割りも良くわかる。 学校の中には入れないので内部は不明だが古地図に記載のある神社も近くにあったりするのでよく見ていくといろいろわかるかもしれない。また旧九鬼家資料館には九鬼家の歴史などがわかるものも置かれているので見ていくと良いでしょう。 |
登城日 | 2016年10月10日(月) | ||
LINK | 三田城-Wikipedia |
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城主家紋 | 【三つ巴】 (村上源氏赤松氏流) 摂津有馬氏家紋 |
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【七曜】 (熊野別当流) 九鬼氏家紋 |
※「有馬高校校地の歴史と周辺の古地図」より |
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【三田城堀跡】 | 【三田城堀跡】 | 【三田城址碑】 三田小学校の前に城址碑は建っている。 |
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【三田城堀跡】 | 【三田城跡】 有馬高等学校がある側が三田城の主郭跡と思われる。 |
【大池】 三田城の堀として利用され、この地に転封された九鬼氏は水軍としての技術を忘れないよう、この池に船を浮かべて訓練したそうです。 |
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【金心寺山門】 御下屋敷門を移築 |
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【三田市旧九鬼家住宅資料館】 明治時代初期に建築された全国でも有数の洋風と和風が混在した疑洋風の建物ということで、兵庫県の有形文化財に指定されています。 |
【九鬼家住宅・庭より】 | 【蹲】 | |
【九鬼家住宅・塀】 | 【九鬼家住宅・床の間】 | 【九鬼家住宅・居間】 | |
【九鬼家住宅・台所】 | 【九鬼家住宅・二階部分】 二階は洋風な作りですが畳でした。 |
【九鬼家住宅・ベランダ】 | |
【九鬼家住宅・二階部分】 | 【九鬼家住宅・表扉開閉装置】 ロープに正面の扉がぶら下がっており、扉を上下させるための装置。 |
【九鬼家住宅・表扉】 | |
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【九鬼家住宅・階段】 | 【九鬼家住宅・一階部分】 | − | |
【清涼山 心月院】 | 【山門】 瓦葺、単層、平八切妻造、天正13年(桃山時代)創建時の建物で関ヶ原戦後、時の領主有馬豊氏が豊臣家から譲り受けた有馬温泉御殿の遺構の一部と伝えられる |
【総門】 四脚門に唐波風をつけた向唐門。宝暦3年(1753)の建物。 |
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【回廊】 | 【本堂前庭】 | 【本堂前庭】 | |
【本堂前庭】 | 【総門と地蔵菩薩】 | 【回廊】 | |
【本堂】 | 【無縁仏供養】 | 【三田藩主九鬼家の墓所】 | |
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【白洲次郎(右)・正子(左)の墓】 | 【白洲次郎夫妻の墓前にある白洲家墓参帖と線香】 | − |