城名 徳島城(別名:渭山城、渭津城)
住所 〒770-0851
徳島県徳島市徳島城内1
入場時間 徳島城博物館
午前9時30分〜午後5時(入場時間は午後4時30分まで)
休館日:
月曜日(祝日の場合は開館)
祝日の翌日(日曜・祝日の場合は開館)
年末年始(12月28日〜1月4日)
入場料
博物館(常設展):一般300円、高校生・大学生200円
庭園のみ:一般50円
指定文化財 国指定史跡、国指定名勝(表御殿庭園)
城郭構造 悌郭式平山城
天守構造 不明(1688年・非現存)
東二の丸御三階櫓(1615年以降・非現存)
築城主 蜂須賀家政
築城年 天正13年(1585)
主な改修者
主な城主 蜂須賀氏
位置 北緯34度4分30.69秒
東経134度33分18.99秒
【沿革】
徳島城の山城部分には、本丸・東二の丸・西ニの丸・西三の丸が置かれていました。
本丸は標高約61mの城山頂上に置かれた曲輪で、山城部分の中では最も面積が広く重要でした。本丸には、中央に置かれた御座敷と城山の管理人であった御城山定番の詰めた御留守番番所のほか、弓櫓や東西の馬具櫓、武具櫓、火縄櫓が設けられていました。櫓は戦いの際には防御施設となりますが、普段は武器を収めていました。藩主は城山麓の御殿で暮らし、城山に登ることは稀でしたが、この御座敷にも藩主専用の部屋があり、台所も設けられていました。また本丸東部に置かれた鐘は城下町の梶の際に打ち鳴らされ、町人たちの危急を救いました。
本丸の出入口は東西の門が使われましたが、北口には御座敷の建物で隠された非常時の脱出口(埋門)があり、大名の非常時に対する備えがうかがえます。
東二の丸には三層の天守が設けられていました。一般的に、天守は城郭の最上部に建てられましたが、徳島城では本丸から一段下がった同地に置かれました。天守の一階は7間(約14m)四方と大きかったのですが、天守台はありませんでした。その西方の西三の丸には材木櫓と平櫓が設けられていました。
西ニの丸の跡地には、現在水道配水池が設置されています。

【感想】
ちょうど行った日が春分の日の翌日で土曜なのに徳島城博物館がしまっていたのですが、電話をかけて100名城のスタンプのことを話すとなんと通用口まで持ってきてもらえました。一時はどうなるかと思っていたのですが対応してくださった係りの人感謝です。
スタンプも押せ、意気揚々に城山を登ってきました。城山は見るところが多いです。東側の登城道から行くと東二の丸をまず見ることになりますが天守跡と書かれている立札が建っていてここニの丸だよな?って発見に出くわします。
本丸は広く、見晴らしも最高でした。城山西側は二の丸三の丸とありますが櫓跡があったりと結構な見どころ満載な城郭でした。
ただ残念だったのは博物館が休館だったため表御殿庭園が見ることができませんでした。

 
100名城
スタンプ

スタンプ
設置場所
徳島市立徳島城博物館受付カウンター
登城日 一回目:2009年3月21日(土)
二回目:2017年7月15日(土)
 LINK 徳島市立徳島城博物館HP
徳島城-Wikipedia
城主家紋 【卍】
(清和源氏足利氏流斯波氏族?)
蜂須賀家家紋
その他  国の名勝

                      

 探訪

※案内板(加筆有り)
【鷲の門】
交差点歩道橋より
【鷲の門】
城の正門にあたる、形式は薬医門。
【鷲の門】
【月見櫓跡と堀】
石垣の角に月見櫓があった。
【三の丸石垣】 【堀にいる魚】
堀にいるのは鯉ではなく川魚です。
【大手門跡と下乗橋】 【太鼓櫓台跡】
【太鼓櫓跡】
望楼型3重4階の大型の櫓があった。
【徳島市立徳島城博物館
【蜂須賀家政公銅像】 【弁天池】
【城山登城口(東坂口)】 【東ニの丸跡】 【天守跡】
東二の丸跡には天守相当の三層の御三階櫓が建っていた。天守一階は7間(約14m)四方の大きさであったが、天守台は築かれず、本丸から一段下がったところに天守が設けられていたのも徳島城の特徴。
【東ニの丸石垣】 【戦没者慰霊碑】 【東二の丸石垣】
【本丸石垣】
徳島産出の緑色片岩を用いた「緑色の石垣」。
【本丸石垣・東側虎口】
階段に築かれているのは補強のためでしょうか?
【本丸東側】
【本丸西側】
【清玄坊神社】
家政が築城するとき付近の社寺に移転を命じたが、清玄坊だけが拒否して応じなかった。家政は一計を案じ替え地を与えるといって城下に連れ出し謀殺してしまった。その後清玄坊の祟りで蜂須賀家に変事が続いたので、家政は供養碑を立てたという。
【本丸跡の案内板】
【本丸北側虎口】
北側の公園へ通じる登城道。
【本丸石垣】
北側登城道より
【本丸手水鉢】
【弓櫓跡】 【午(ドン)砲跡】
弓櫓跡にある午砲跡。これで時を知らせていた。
【本丸西側虎口】
【本丸石垣】 【本丸石垣】 【本丸石垣と西側登城道】
【西ニの丸跡】 【西ニの丸の戦没者慰霊碑】 【西ニの丸にあった豊玉観音2体】
町を見下ろして置かれています。
【西ニの丸の登り石垣?】
短いので違うかもしれませんが・・
【帳櫓跡】 【西ニの丸石垣】
【帳櫓石垣】 【殉難警察官・消防官招魂碑】 【西三の丸跡】
現在は城山配水地となっている。
【西三の丸虎口】 【屏風櫓跡】 【北側堀】
屏風櫓跡より
【旗櫓跡】 【数寄屋橋】
城の鬼門に当たる場所で渡った場所には数寄屋門(不開門)があった。
【隅櫓跡】
【城山の貝塚跡】 【城山の海触痕】 【城山北側登城道】
【南の水路(旧寺島川)】 【旧寺島川沿いの石垣の舌石】 【舌石】
石垣面から突き出ている石は屏風折塀の支柱石で「舌石」と呼ばれています。旧寺島川沿いには約32m間隔で6個の舌石が残り、全国的にも類例の少ない貴重なものです。




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