城名 | 福岡城(別名:舞鶴城、石城) | |||
住所 | 〒810-0043 福岡県福岡市中央区城内 |
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入場時間 | 鴻臚館跡展示館(100名城スタンプ置場) 開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30) 休館日:12月29日〜1月3日 |
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入場料 |
無料
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指定文化財 | 国指定史跡 重要文化財(多聞櫓・南西隅櫓) |
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城郭構造 | 悌郭式平山城 | |||
天守構造 | 不明 | |||
築城主 | 黒田長政 | |||
築城年 | 慶長6年(1601) | |||
主な改修者 | 黒田長溥 | |||
主な城主 | 黒田氏 | |||
位置 | 北緯33度35分3.77秒 東経130度22分59.17秒 |
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【沿革】 関ヶ原の合戦の軍功により、豊前中津16万石から筑前52万3千石に加増された黒田長政は父黒田如水(黒田官兵衛孝高)と共に筑前国の名島城に慶長五年(1600)入城する。 名島城は天文年間(1532〜1555)に立花鑑載が立花山城の支城として築城し、のちに小早川隆景が城を大改修し居城としていたと言われている。 名島城に入城した長政は、翌年慶長六年(1601)にはより治政上の適地として現在の城地を選び新たに城を築く事になる、その頃は福崎と呼ばれていたこの土地を黒田家縁の地、備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)にちなんで福岡と改め、城の名を福岡城と名づける。 福岡城の築城には7年の歳月を要し、面積47平方メートルにも及ぶ広大な城郭には、石垣積みの名人と言われた普請奉行の野口一成が指揮した石垣がめぐらされ、47基もの櫓が築かれていたという。 黒田氏は、2代忠之のときに黒田騒動が起きるが無事本領を安堵され、以後12代長知まで替わる事なく明治維新を迎える。 明治四年(1871)廃藩置県により廃城、多くの建造物が解体もしくは移築される。 【感想】 遺構はあまり期待しないで訪れた場所でしたが、本丸へ入登るに従い石垣の見事で二ノ丸、本丸をぐるぐる回っていました。 特に天守台は建てられなかったと言われていましたが近年天守が建っていたことを示す文書が出てきて天守があった可能性が出てきました。天守台の大きさから熊本城の天守に匹敵するものと考えられるそうです。小・中・大と天守が連立する姿を想像するとすごい城郭であったことがわかります。 |
100名城 スタンプ |
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スタンプ 設置場所 |
鴻臚館跡展示館 | |||
登城日 | 2009年5月23日(土) | |||
LINK | 福岡市文化財-福岡城 | |||
福岡城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【藤巴】 (宇多源氏京極氏流) 黒田家家紋 |