城名 今治城(別名:吹上城、吹揚城)
住所 〒794-0036
愛媛県今治市通町3-1-3
入場時間 午前9時〜午後5時
休館日:12月29日〜12月31日
その他展示替など、運営上必要なとき
入場料
大人:500円、学生:250円
指定文化財 愛媛県史跡
城郭構造 輪郭式平城(海城)
天守構造 5重不詳諸説あり(非現存・1608年)
望楼型5重6階模擬(コンクリート造り・1980年築)
築城主 藤堂高虎
築城年 慶長7年(1602)
主な改修者
主な城主 藤堂氏、松平(久松)氏
位置 北緯34度3分48.01秒
東経133度0分24.5秒
【沿革】
戦国時代の今張地方の支配拠点は、唐子山山頂の国府城で、能島水軍の領主村上武吉が居城としていたが、天正13年(1585)秀吉による四国征伐で侵攻した小早川隆景に戦う事なく開城。
伊予平定後の隆景に国府城を含む伊予国の大部分が与えられたが、天正15年筑前名島に転封。
替わって福島正則が東予11万石を領し、翌年国府城に入城。8年後の文禄4年清州城に転封。
その後、池田景雄(慶長の役で1598年戦死)、小川祐忠(関ヶ原の合戦で西軍に加わり改易)と城主が変わり、慶長5年藤堂高虎が城主となった。
高虎は浅井長政に仕えて、15歳で姉川の合戦に初陣。主君を次々に変え、天正4年羽紫秀長に仕えて、天正13年雑賀根来一揆征伐の功で1万石、同15年九州征伐の功で2万石を領すが、秀長、その嗣子秀俊が相次いで没し、高虎は二人の菩提を弔うために文禄4年高野山で出家。
秀吉は才を惜しみ、同年7月招いて伊予宇和郡7万石を与えた。高虎は父と共に大洲に入城し、板島城(宇和島城)築城に掛かる。慶長3年朝鮮再征の功で1万石加増。翌年諸侯に先じて弟正高を人質に差出し、家康より下総香取3千石を賜わる。
関ヶ原の合戦では、福島正則と共に徳川軍の先陣で活躍。 その功で12万石加増され、伊予半国20万3千石の大名で国府城に入城。
藤堂高虎は、発展性に乏しい山城の国府城を捨て、軍事的に要地で、且つ海陸の交通や経済発展にも便利な、20万3千石の大名に相対しい城郭と城下町を建設するため、城域を越智平野中央の今張に定めた。
山城の戦略的城郭から、平城の政治的城郭へと脱皮を図ったのである。高虎はその時に「今張」を「今治」と改め、その意欲を示したといわれている。
慶長7年6月11日に普請を開始、慶長9年9月に完成。その広さはおよそ八町十六間四方、現在の金星川以南、旭町以東を城域とし、三重の堀に海水を引き入れ、南方は総社川、東方は瀬戸内海を自然の守りとした大規模な海域であった。
本丸には高さ八間の石垣の上に五層五階の天守閣があり、二之丸に藩主館、中堀以内に上級武士、外堀以内に侍屋敷が、要所要所には城門が9カ所、櫓が20カ所あった。石積みは自然石をそのまま使う野面積みで、軟弱な地盤を補うために、本丸、二之丸の石垣の下に、犬走りを巡らせた。
今治城主としての高虎は在任8年間であったが、近江膳所城の縄張や伏見城の修築に多忙で、今治城の縄張は重臣の渡辺勘兵衛が行なっている。勘兵衛は鉄門桝形見付石垣中に大石を築き、今も勘兵衛石として残っている。
高虎は慶長11年に江戸城縄張の功で備中に2万石加増され、22万3千石となった。また慶長10年に松寿婦人と嫡子高次を江戸に移りすまわせ、これが後の参勤交代の基になったといわれている。
慶長13年(1608)高虎は伊賀一国と伊勢8郡に20万石を領し、飛地となった今治2万石には藤堂高吉を処守(城代)で残し、伊勢津城に去った。その際2万石には不用の天守閣は解体し、大坂まで運び、慶長15年(1610)丹波亀山城に移築した。
亀山(現亀岡市)は近畿の枢要地で、大阪城の豊臣秀頼に心を寄せる諸大名に備えて、要所を固めんとする家康の意思を汲み取り、又、外様である自分自身に異心のない事を重ねて証明する為、伊賀上野城に移築するつもりの今治城天守閣を亀山城に建てて、家康に献じたのである。
今治城に天守閣が存在していたと思われるのは僅か4年間で、その後築かれる事はなかった。
高吉が約27年間処守を治めた後は、寛永12年(1635)家康の甥の松平定房が3万石で就封し、松平家の居城として明治維新を迎える。


【感想】
天守は史実とは異なっている模擬であるが、山里櫓の方向からみた天守や櫓の景観は圧巻です。
また、御金櫓から石垣上を吹揚神社の裏の方まで歩けるので、石垣やその下の犬走りを良く見ることができる。

100名城
スタンプ

スタンプ
設置場所
天守受付
登城日 一回目:2009年7月16日(木)
二回目:2017年3月11日(土)
 LINK 今治市公式HP
今治城-Wikipedia
城主家紋 【蔦】
藤堂家家紋
【徳川葵】
松平家家紋

                      

 探訪
【鉄御門と天守】 【鉄御門全景】 【船着場】
大手道を上がっていくと左側にある。
【勘兵衛石】
鉄御門前の鏡石。
【鉄御門】
往時はこの手前に高麗門があり枡形を形成していた。
【鉄御門遺構礎石】
【藤堂高虎像と天守】 【藤堂高虎像】
【二の丸】
【天守
二の丸からの天守。
【天守
二の丸からの天守。
【蒼吹の井】
【御金櫓】 【南側堀と石垣、犬走り】 【南側石垣上から見た天守】
【南側石垣と犬走り】 【西側石垣】 【吹揚神社裏からの天守】
【鹿香神社】
石垣を歩いてくるとこの神社の横にでる。吹揚神社の隣。
【吹揚神社】
本丸に建つ。
【吹揚神社入口】
【櫓門】 【天守】
天守台がない。
【天守より二の丸と鉄御門】
【天守より御金櫓】 【天守より本丸に建つ吹揚神社】 【天守より山里櫓】
【山里櫓】 【櫓門】 【船着場跡】
【山里側門】 【山里櫓と天守と堀】
北西側より。
【山里櫓と天守と掘り】
西側より。
【天守と石垣と堀】 【石垣と堀】
南側より。
【御金櫓】
東側より。
【海水の取水口】
ここから今治港の海水を取り入れている。
【取水口付近の魚】
海水が綺麗なせいかここにはたくさんの魚が集まっています。
【鉄御門と石垣と堀】
北側より。
発見!ニッポン城めぐりオフィシャルツアー〜犬走見学〜 2017.3.11
【船着場跡】 【犬走から見た山里櫓】 【本丸南東側石垣】
【本丸南東側石垣】 【御金櫓】 【本丸北東側の石垣と犬走】
【本丸北東側犬走】
立っているポストみたいなものはライトアップの照明
【本丸南東側犬走】 【本丸南東側石垣と犬走】
【石垣に使用されている石灰石】
穴が開いているのは貝の出す成分により溶解したものでこの石が海中にあったことを示しています。
また、今治城では珍しく大理石も使用されています。
【本丸南東側石垣と犬走】




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