城名 | 湯築城(別名:湯月城) | |||
住所 | 〒790-0857 愛媛県松山市道後公園 |
|||
入場時間 | 公園:24時間OPEN 展示施設:午前9時〜午後5時 休館日:毎週月曜日(休日の時は翌日) 12月29日〜1月3日 |
|||
入場料 |
無料
|
|||
指定文化財 | 国指定史跡 | |||
城郭構造 | 悌郭式平山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 河野氏 | |||
築城年 | 慶長7年(1602) | |||
主な改修者 | − | |||
主な城主 | 河野氏、小早川氏、福島氏 | |||
位置 | 北緯33度50分53.191秒 東経132度47分12.27秒 |
|||
【沿革】 河野氏は、風早郡河野郷(北条市)を本拠として勢力を伸ばした一族で、源平合戦(1180〜1185)で河野通信が源氏方で功績を挙げ、鎌倉幕府の有力御家人となり、伊予国の統率権を得ました。承久の乱(1221年)で没落するものの、元寇(1281年)で通有が活躍し、確固たる地位を築きました。また鎌倉時代には、河野氏から出た一遍上人が時宗を興しました。南北朝期、通盛の頃には本拠を河野郷から道後の湯築城へと移しました。その後有力守護細川氏の介入や一族間の内紛がありましたが、足利将軍家と結びつき、近隣の大内氏、大友氏、毛利氏などと同盟を保ちつつ伊予支配を維持しました。庶子家との争いも克服し、通直は湯築城の外堀を築き(1535年頃)、娘婿の海賊衆村上(来島)通康との関係を強化しました。最後の当主通直(牛福丸)は、全国統一を目指す豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に開城し(1585年)、河野氏の伊予支配に終止符が打たれました。 【感想】 見るところは少ないが外堀と内堀にある土塁が綺麗に整備されているところは良かった。 |
100名城 スタンプ |
|||
スタンプ 設置場所 |
湯築城資料館 | |||
登城日 | 2009年7月17日(金) | |||
LINK | 道後公園-湯築城跡HP | |||
湯築城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | 【折敷に三文字】 (越智氏流) 河野家家紋 |
【湯築城碑】 | 【搦手門跡】 | 【外堀】 | |
【屋敷の門】 | 【円形石積遺構】 何のために作られたものか不明。 |
【武家屋敷T】 | |
【武家屋敷T内風景】 | 【武家屋敷T内風景】 |
【内堀土塁】 | |
【内堀】 | 【庭園の池】 | 【外堀土塁からみた丘陵部】 | |
【外堀土塁上より武家屋敷U】 | 【道路・排水溝】 | 【外堀土塁内-土塁展示】 | |
【外堀土塁】 | 【土抗(ゴミ捨て穴)】 | 【遮蔽土塁】 外堀と内堀の間が最も狭い場所です。この土塁の重要な役割は、大手からの視線を遮るためと上級武士居住区への容易な侵入を防止することにあります。 |
|
【大手門跡】 | 【北側外堀】 | 【石造湯釜】 湯釜は、浴槽内の温泉の湧出口に設置するもので、これは現在の道後温泉本館ができた明治27年(1894)まで使用されていたものです。 |
|
− | |||
【公園丘陵部展望台】 丘陵部には展望台ぐらいしか見る場所は無い。 |
【展望台より松山城】 | − | |
【道後温泉駅】 | 【坊っちゃん列車】 | 【からくり時計】 |
|
【道後温泉本館左側】 | 【道後温泉本館正面】 | 【道後温泉本館右側】 | |
− | |||
【道後温泉本館右側】 | 【道後温泉本館右側】 | − | |
ジャンル:地ビール 店名:道後麦酒館 住所:愛媛県松山市道後湯之町20-13 TEL:089-945-6866 営業時間:11:00〜22:00 定休日:無休 URL:http://www.dogobeer.co.jp/ 皮ポン酢、人気No.1の自家製ビール酵母入りじゃこ天とたこわかめかまぼこ、宇和島風鯛飯と道後ビール”漱石” 道後ビールは”坊っちゃん”、”マドンナ”、”漱石”がありグラス450円、ジョッキ800円 気No.1の自家製ビール酵母入りじゃこ天とたこわかめかまぼこ、これは絶品です。580円 宇和島風鯛飯はランチで950円でした。 どれも美味しく歩き回ったあとだったので道後ビールも坊ちゃんと漱石をいただいちゃいました。 |