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城名 大洲城(別名:比志城、地蔵ヶ嶽城、大津城)
住所 〒795-0012
愛媛県大洲市大洲903
入場時間 午前9時〜午後5時
休日:12月29日〜31日
入場料
大人:500円、小人:200円
指定文化財 重要文化財(台所櫓・高欄櫓・苧綿櫓・南櫓)
県史跡
城郭構造 悌郭式平山城
天守構造 複合連結式層塔型(1609年・非現存)
(2004年・木造復元)
築城主 宇都宮豊房
築城年 元徳3年(1331)
主な改修者 藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰
主な城主 宇都宮氏、藤堂氏、脇坂氏、加藤氏
位置 北緯33度30分34.341秒
東経132度32分28.07秒
地図 苧綿櫓(重要文化財)
台所櫓(重要文化財)
天守
高欄櫓(重要文化財)
三の丸南櫓(重要文化財)
100名城
スタンプ

【沿革】
大洲城は、鎌倉時代末期、伊予国の守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城が始まりといわれています。
激動の戦国時代を経て、小早川隆景が伊予を平定した後、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治が相次いで城主となりますが、このころ4層4階の天守を中心とした本格的な近世城郭に整備されたのではないかと考えられています。
元和3年(1617)米子から加藤貞泰が入城しました。以後、明治維新を迎えるまで加藤氏が6万石の城主としてこの地を治めました。
明治維新後、幕藩体制が崩壊し、明治21年(1888)には天守も取り壊されました。しかし、4棟の櫓は解体をまぬがれ、いずれも国の重要文化財に指定されています。城跡も県史跡に指定され今日も大切に保存されています。
4層4階の天守は、明治期の古写真や「天守雛形(ひながた)」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料をもとに平成16年(2004)に木造で復元したものです。重要文化財の台所櫓、高欄櫓とL字型に多聞櫓で連結し、複連結式天守と呼ばれる構えを成しており、これら全ての建物を観覧することができます。


【感想】
駅から大洲城までは距離があるので駅前でレンタサイクルを借りることをお勧めします。
大洲城は肱川の川岸にあるので対岸からの眺めは格別です。ただ高欄櫓が天守の陰になってしまうため、大洲から宇和島へ向かう列車の中からだと本丸全体を写真に収めることができます。
川岸沿いには苧綿櫓があるのでそこを先に見て階段を登って行くのもいいものです。
南櫓のみは三の丸の建物であるため少し離れた場所にあります。グランド越しでカメラを持っていると怪しまれる可能性もありますが、こちらから撮ると石垣も入れることができます。

スタンプ
設置場所
台所櫓入口(受付)
登城日 2009年7月18日(土)
 LINK 大洲市公式HP
大洲城-Wikipedia
城主家紋 【三つ巴】
(藤原姓宇都宮氏支流)
(伊予)宇都宮家家紋
【蔦】
(藤原氏)
藤堂家家紋
【輪違い】
(藤原氏後裔?)
脇坂家家紋
【蛇の目】
(藤原氏利仁流)
加藤家家紋
(加藤光泰家系)

                      

探訪
【肱川越しからの天守と台所櫓】 【肱川越しの天守と台所櫓】 【肱川越しの天守と台所櫓】
【苧綿櫓】(重要文化財) 【苧綿櫓】(重要文化財) 【土手沿いの塀】
【苧綿櫓】(重要文化財) 【苧綿櫓奥の石垣】
【大洲城南側石垣】
【苧綿櫓】(重要文化財)
水門用の通路を進むと間近に見ることができる。
【下台所】 【南側石垣】
この下の部分は帯曲輪のようになっている。
【二の丸】 【二の丸から見た天守と高欄櫓】 【二の丸から見た天守と高欄櫓】
【御門番長屋】
この建物は、曲輪内の仕切り塀の門に付属する長屋です。
名前の通り門番が詰めていた建物です。
【井戸丸から天守と高欄櫓】 【かま櫓跡】
本丸南側にあるこの櫓は、井戸丸にある唯一の二層の櫓です。
【暗り門跡】
この門は、天守に到る最後の城門で最も大きな櫓門です。現在とは異なり、かつては門の正面に石垣が立ちはだかり、左に折れて石段を登ると台所櫓の前に出るようになっていました。通常の櫓門と異なり、折れ曲がり部分の上に渡櫓が覆いかぶさり、文字通り内部は「暗り」になっていました。
【天守と高欄櫓】 【天守・高欄櫓・台所櫓】
このうち天守を除く櫓2棟が重要文化財。
天守は往時の姿をほぼ正確に復元されている。
【本丸廻り櫓跡】
大洲城本丸は天守や台所櫓、高欄櫓などの主要な建物を多聞櫓(廻り櫓)で繋いでおり、本丸全体が櫓で囲われた堅固な構えをしていました。
【天守西側眺望】 【井戸丸の井戸】
大洲城の本丸は上段と下段とに分かれ、井戸のある下段の曲輪を井戸丸と称しています。井戸丸の西側には本丸下段の門とそれに付属する多聞櫓が建っていました。
kの井戸は、本丸にある唯一の井戸で、直径3.8mあり、国内でも最大級の本丸井戸と知られています。
【玉櫓跡】
二の丸西隅にあるこの櫓は、付櫓をともなうにその櫓です。この付近は肱川越しの攻撃に備え、特に強固な防備が敷かれていました。
【玉櫓跡より本丸建物群】
手前はトイレです。
【鉄砲櫓跡】
二の丸北東隅にあるこの櫓は、付櫓をともなう二層の櫓です。肱川越しの攻撃に備えた櫓で、櫓の名称から鉄砲などの武器を納めていたと思われます。
【北の菱御門(二の丸搦手門)】
この門は二の丸の裏門にあたる櫓門です。ここからは帯曲輪を通じて表御殿や城山の北側を巡る曲輪へ至ることが可能で、大洲城の防衛上重要な門の一つです。
【大洲城天守閣の礎石】
復元する際に出てきた礎石6個を移築して展示している。
【天守閣の下にあった大型建物の礎石】
天守復元の際に天守台の下に埋もれていた石で一時期古い天守級の建物が存在していたと考えられます。
その際に出てきた石のなかで復元するにあたって3個所を取り除く必要があったため、その3個を移築展示しています。
【三の丸南櫓】(重要文化財)
大洲城に現存する最古の建物。外部両端に袴腰型の石落しを備えているのが特徴です。
大洲城三の丸南隅櫓公園内より。

【三の丸南櫓】(重要文化財)
グランド越しに撮影。
【大洲城】
左から台所櫓・天守・高欄櫓、宇和島に向かう列車の車窓より。




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