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城名 宇和島城(別名:鶴島城、板島城、丸串城)
住所 〒798-0060
愛媛県宇和島市丸之内
入場時間 城山 4月〜9月:午前6時〜午後6時30分
   10月〜3月:午前6時〜午後17時
天守・郷土資料館:午前9時〜午後4時
入場料
天守:200円
指定文化財 国指定史跡
重要文化財(天守)
城郭構造 悌郭式平山城
天守構造 複合式望楼型3重3階(1602年築 非現存)
独立式層塔型3重3階(1666年再 現存)
築城主 橘遠保
築城年 天慶4年(941)
主な改修者 藤堂高虎、伊達宗利
主な城主 藤堂氏、伊達氏
位置 北緯33度13分10.12秒
東経132度33分54.85秒
地図 上り立ち門
長門丸
雷門跡
天守閣
桑折長屋門
100名城
スタンプ

【沿革】
戦国時代高串道免城主の家藤監物が、天文十五年(1546)板島丸串城に入ったというのが、板島丸串城の記録に現れた始めである。
その後、天正三年(1575)西園寺宣久の居城になったが、同十三年(1585)には伊予の国が小早川隆景の所領となリ持田右京が城代になった。その後、同十五年(1587)宇和郡は戸田勝隆の所領となり戸田与左衛門が城代となった。
文禄四年(1595)藤堂高虎が宇和郡七万石に封ぜられ、その本城として慶長元年(1596)築城工事を起こし、城堀を堀り、石垣を築いて、天守閣以下大小数十の矢倉を構え、同六年(1601)頃までかかって厳然たる城郭を築きあげた。
慶長十三年(1608)高虎が今治に転封となり富田信高が入城したが、同十八年(1613)に改易になったので、約一年間幕府の直轄地となり、高虎が預かり、藤堂良勝を城代とした。
慶長十九年(1614)十二月、仙台藩主伊達政宗の長子秀宗が宇和郡十万石に封ぜられ、翌元和元年(1615)三月に入城の後宇和島城と改めた。
それ以後、代々伊達氏の居城となり、二代宗利のとき寛文四年(1664)天守閣以下城郭全部の大修理を行い、同十一年(1671)に至り完成した。

【感想】
搦手側である上り立ち門から登城していくといろいろな石垣が目に入り楽しみながら登城することができます。本丸から見る天守は遮るものもなく青空を背景にした姿は勇壮です。
スタンプ
設置場所
宇和島城天守
登城日 2009年7月18日(土)
 LINK 宇和島市観光協会HP
宇和島城-Wikipedia
城主家紋  【蔦】
(藤原氏)
藤堂家家紋
【竹に二羽飛雀】
(藤原氏山陰流)
宇和島伊達家家紋
その他 国指定 名勝

                      

探訪
【上り立ち門】
搦手口から登る登り口に位置している。規模は大きくないが、建築様式は薬医門形式の切妻、本瓦葺であって、丸瓦の先端には、伊達家の紋章の一つである九曜の紋がついている。
宇和島城で唯一現存している門です。
【搦手側登城道】 【式部丸からのびる石垣】
【式部丸と代右衛門丸の石垣】 【代右衛門丸の石垣】
この上は南角矢倉跡と思われる。
【代右衛門丸の石垣】
この上は南角矢倉跡と思われる。
【長門丸】 【長門丸-北角矢倉跡】
【長門丸-北角矢倉跡】
【長門丸-西角矢倉跡 【長門丸-長矢倉跡】
防災道路で分断されてしまっている。
【藤兵衛丸登城道】
【雷門付近石垣】
この正面に代右衛門丸へ続く道がある。
【雷門跡】 【藤兵衛丸石垣】
【藤兵衛丸】 【藤兵衛丸-矢倉跡】
現在は、山里倉庫があり城山郷土館になっている。
山里倉庫は旧幕府時代宇和島城内の調練場(現宇和島郵便局)の一角にあり、武器庫に使用されていたものを移築。
【穂積陳重 八束兄弟の生家長屋門】
移築門。
【二の丸登城道】 【二の丸登城道】 【書物矢倉跡】
【三之門跡】 【二之門跡】 【二の丸-御算用矢倉跡】
【二の丸】
天守が建つ本丸の最終防衛施設として目前に置かれ、眼下の雷門周辺に侵攻した敵を攻撃するために築かれていた曲輪で帯曲輪と連結しています。
【本丸登城道】 【二の丸-木戸跡】
【櫛形門(一之門)跡】 【本丸-櫛形門矢倉跡】 【本丸-北角矢倉】
【櫛形門矢倉・櫛形門・北角矢倉跡】 【鉄砲矢倉跡】 【御大所(御台所)跡】
【御弓矢倉跡】 【天守閣】 【本丸井戸】
【天守閣】 【天守閣】 【千鳥破風】
【天守閣】 【本丸】 【右髪矢倉跡】
【天守閣一階】
天守閣雛型が置いてあります。
【天守閣二階】 【天守閣三階】
【天守からの眺望】 【井戸丸-井戸屋形・井戸】 【井戸丸-井戸丸矢倉跡】
【井戸丸-井戸丸門跡】 【大手側登城道】 【藩老桑折氏武家長屋門】
城山東北側の登城口に位置する長屋門です。家老桑折屋敷地に残されていたものを、昭和27年桑折家より譲渡を受け、現位置に移築。
【追手門跡碑】 【在りし日の追手門】




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