powered by 地図Z
※目印は大体の位置になります。
城名 岡豊城
住所 〒783-0044
高知県南国市岡豊町八幡1099-1
入場時間 高知県立歴史民俗資料館
午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:12月27日〜1月1日
入場料
常設展/大人(18才以上)450円・団体(20人以上)360円
企画展/大人(18才以上)500円・団体(20人以上)400円
指定文化財 国史跡
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 長宗我部氏
築城年 13世紀〜14世紀
主な改修者 長宗我部国親
主な城主 長宗我部氏
位置 北緯33度35分41.86秒
東経133度37分20.97秒
地図 ニノ段
三ノ段
四ノ段
伝厩跡曲輪
【沿革】
長宗我部氏の居城であり、標高97mの東西に長い孤立丘陵に構築された土佐の中世城郭を代表する城跡である。築城の年代は不明であるが、永正5〜6年(1508)〜1509)、周辺の有力国人であった本山・山田・吉良氏らの連合軍に攻められて落城した。城主長宗我部兼序は自刃し、幼年の子千雄丸は幡多の一条氏のもとに逃れたと伝えられるものが城についての初見である。
永正15年(1518)、千雄丸は国親と名乗り岡豊に帰り、ここを本拠に長宗我部家再興に乗り出した。国親は永録3年(1560)病死するが、後を継いだ元親は土佐を統一し、天正16年(1588)大高坂城に移転するまで長宗我部の居城として機能し続けている。

【感想】
バスの本数が少ないため行くのにためらいはありましたが、来てみれば遺構もしっかり残っていて良かったです。夏場よりも冬場の方が竪掘りなどもっと見やすいでしょう。
登城日 2009年7月20日(月)
 LINK 高知県立歴史民俗資料館
岡豊城-Wikipedia
城主家紋 【折七つ酢漿草】
(泰氏流)
長宗我部家家紋

                      

 探訪
【歴史民俗資料館】
ここには休憩所もありバスを待つのに重宝します。ただし、資料館発は非常に少ないので学校分岐まで下って行く方がいいでしょう。
【登城道】
資料館からはこの階段から行くことができます。
【二ノ段からの眺望】
中央やや左に見える森みたいな場所は、土佐国分寺城跡です。
【ニノ段】
ニノ段は、堀切によって詰から隔てられた曲輪で長さ45m、最大幅20mのほぼ三角形であり、南部には高さ60cmの土塁が30mにわたり残っていました。
【堀切と井戸】
堀切は幅3〜4m、深さ2m前後。井戸は、堀切のほぼ中央に掘られており、方形をしています。上部は幅3m、底部は0.8mでニノ段からの深さは、4.7mです。写真の手前に井戸跡があります。
【詰下段】
詰の東に付属する小曲輪で、礎石建物跡1棟や土塁などの遺構が発見されました。
【三ノ段虎口】
四ノ段に続く虎口。
【三ノ段】
三ノ段は、詰の南と西を囲む曲輪で、南部は幅5m、清部は幅3〜8mの帯状となっている。
【三ノ段の土塁・石垣】
発掘調査では、礎石建物跡1棟と中央部に詰への通路となる階段跡、そして土塁の内側に石垣が発見されました。
【詰】
本丸にあたる場所。標高97mの岡豊山の頂上部にあります。1辺40mのほぼ三角状で、東には二ノ段、南から西にかけては三ノ段、四ノ段が詰を取り巻くように造られています。
【岡豊城跡碑】 【詰礎石建物跡】
礎石建物跡は、詰の清南部で発見されました。この建物跡の南端は、40〜60cmの割石を幅1〜1.5m、長さ16mに敷いた石敷遺構で、その北側には建物跡の礎石が続いています。
【四ノ段】
三ノ段の西部を囲むように造られた曲輪で、中央部にある虎口により二分されています。北部は方形の曲輪で、約12m×15mの広さです。南部は南北約32m、東西約16mです。
北部郭からは土塁、礎石建物跡1棟、土坑1基、粘土盛土遺構1基、集石遺構1基が確認されました。南部からは土塁裾部の割石が確認されましたが、建物跡などは確認されませんでした。
【四ノ段虎口】 【三ノ段へ続く虎口】
【展望広場】
四ノ段の下にある。
【展望広場より四ノ段石碑】 【長宗我部氏岡豊城址碑】
【横堀】 【竪堀】 【岡豊城址主要部全景】
伝厩跡曲輪より。
【伝厩跡曲輪】
この曲輪は、詰の西南にある出城で、通称伝厩跡曲輪と呼ばれています。長さは30m、幅17mの楕円形で周囲は急な斜面に囲まれ、北西の二重堀切と南斜面の竪堀群により守りを固めています。
【竪堀】 【岡豊城全景】
帰りのバスより。
左側は詰、右側が伝厩跡曲輪。




Back



inserted by FC2 system