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城名 中城城
住所 〒901-2314
沖縄県北中城村字大城503
入場時間 午前8時30分〜午後5時(6月〜9月午後6時)
入場料 大人300円、中・高校生200円、小学生100円
指定文化財 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録
国指定史跡
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 先中城按司(さちなかぐすくあじ)
築城年 14世紀後半
主な改修者 護佐丸
主な城主 護佐丸
位置 北緯26度17分3.12秒
東経127度48分4.92秒
地図 一の郭・御殿跡
二の郭
裏門
大井戸
正門
100名城
スタンプ
【沿革】
中城城は、北中城村から中城村にわたる標高167メートルの高台に、東北から南西にほぼ一直線につらなる6つの城郭からなる城で、琉球王国時代に築城家として知られる護佐丸が、勝連半島で勢力を伸ばしていた阿麻和利に対する備えとして、読谷の座喜味城から移されて築いた城だといわれています。

自然の地形を巧みに利用した美しい曲線の城壁に囲まれ、一の郭と二の郭は「布積」、三の郭と西北側の郭は「あいかた積」と呼ばれる手法で築かれており、その築城技術は高く評価されています。当時の琉球は、沖縄本島南部の佐敷から興った第一尚氏によって、国家が統一されていく過程にあり、その最終段階でこの城が果した役割は大きいものがありました。護佐丸の滅亡後、この城がどのような使われ方をしたのかについては定かではありませんが、第二尚氏になると中城の領地が王の直轄領となっていたことからすると、中城城は王子の居城としてしばらく使われていた可能性も高いといわれています。

平成12年12月、中城城跡を含む「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が国内11番目の世界遺産として登録されました。

【護佐丸・阿麻和利(あまわり)の乱】
中山王尚泰久(琉球王府)をおびやかしはじめた勝連城主阿麻和利にそなえ、護佐丸は中城城の兵力を増強して、常に阿麻和利の攻撃に備えていました。
ある日、阿麻和利は変装して首里城にのぼり、護佐丸が謀反をくわだてているとざん言します。王府は阿麻和利の言を信じ、中城城攻略を阿麻和利に命じます。8月15日の夜、護佐丸が月見の宴の最中に阿麻和利は王府の旗を揚げて中城城を攻撃します。王府への忠誠心にあつい護佐丸は手向かう事できず、ひとり幼児だった三男の盛親を乳母に託して落ちのびさせ、妻子もろとも自決したといいます。そして、その阿麻和利もその後には結局、王府軍に攻められて滅びてしまいました。


【感想】
規模も比較的大きく曲線を描く石垣は見事、この場所が沖縄統一の鍵を握った場所と思うと感慨深いものがありました。また南の郭は他とは違い神聖な区域であることが肌で感じることができます。
西の郭は現在道路がひかれてしまい昔の状況が分からなくなっており、草も生い茂り入ることができなかった。整備が進むうちにこの道路はなくなるらしいのですがいつになるのかは分かりません。
スタンプ
設置場所
管理事務所の窓口
 登城日 2010年8月12日(木)
LINK 沖縄の世界遺産-中城城跡
中城村役場ー中城城
北中城役場-観光案内中城城跡
中城城-Wikipedia
城主家紋

                      

 探訪
【中城城・世界遺産碑】 【中城城模型】 【裏門側広場からみた中城城】
【裏門側広場からみた中城城】 【三の郭石垣】
三の郭は新城(ミーグスク)とも呼ばれ、石積み技法の最も進んだあいかた積み(亀甲乱れ積み)によって築かれている。
【裏門】
太陽(てだ)が穴(東)に向かって建てられた裏門。ペリー探検隊一行がエジプト式と評した精巧なアーチがひときわ美しい。
【裏門】 【北の郭】
護佐丸が井戸をとり込み増築したとされる北の郭。
【三の郭内】
【二の郭石垣 【大井戸(ウフガー)】
北の郭にあるウフガー。西の郭には夫婦井戸(ミートゥーガー)と呼ばれる二つの井戸がある。城郭内に水を確保していることが、この城の特徴でもある。
【北の郭と西の郭を繋ぐ門】
【西の郭】
兵馬の訓練をしたといわれる西の郭。長さが約120mある。
【二の郭内】 【二の郭からの眺望】
【二の郭内】 【三の郭内】
二の郭から見た三の郭。
【二の郭から見た一の郭】
【二の郭石垣】
一の郭と二の郭の石積み技法は、布積みである。二の郭の曲線の美しさは一際ひと目をひく。
【二の郭内の拝所・シライ富ノ御イベ】 【一の郭と二の郭との間の門】
【一の郭・御殿跡】
【一の郭と二の郭の間の門】 【一の郭内の拝所・チゲー御獄(中森の御イベ)】
【観月台】
この場所で護佐丸が宴を催した。
【一の郭】
中城城で最も広い一の郭。正殿があった。護佐丸が宴を催した観月台もある。後に間切番所(まぎりばんじょ)が建てられ、廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが、沖縄戦で消失した。
【一の郭と南の郭を繋ぐ門】
【南の郭から一の郭へ向かう登城道】 【南の郭】
南の郭は霊域であり聖地九高島への遥拝所。他に雨乞いの御嶽(うたき)など城内には、八つの拝所がある。今も拝む人が絶えない。
【拝所・雨乞イノ御獄】
【久高遥拝所(くだかうとうし)】 【首里遥拝所(しゅりうとうし)・御富蔵火神(うとぅくらひぬかん)】 【南の郭から西の郭へ繋がる門】
【南の郭から西の郭へ繋がる門】 【西の郭】 【正門】
西の方角へ向けてたてられた正門(櫓門)。門をはさむように両側に石垣がせり出し、ハンタ道(公道)に向け狭間がつくられている。
【中城城跡碑】 【鍛冶屋跡(ガンジャーガマ)】
鍛冶を行っていたところと言われているが、城のためか集落のためか定かではない。一説によれば護佐丸が阿麻和利に備えるために武具を造っていたとも伝えられている。
【鍛冶屋跡上の南の郭石垣】
この石垣には狭間があります。
【鍛冶屋跡と南の郭】 【廃墟】
現地でも有名な廃墟で撮影場所としても使用されている。
【正門側入口】
観光〜重要文化財・中村家住宅〜




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