城名 | 勝連城 | |||
住所 | 〒904-2312 沖縄県うるま市勝連南風原3830 |
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入場時間 | − | |||
入場料 | − | |||
指定文化財 | 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録 国指定史跡 |
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城郭構造 | 連郭式山城 | |||
天守構造 | なし | |||
築城主 | 英祖王系・大成王の五男(勝連按司) | |||
築城年 | 13〜14世紀 | |||
主な改修者 | 阿麻和利 | |||
主な城主 | 茂知附按司、阿麻和利 | |||
位置 | 北緯26度19分48.7秒 東経127度52分44.08秒 |
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【沿革】 連城跡は、琉球王国が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した有力按司、阿麻和利の居城として有名です。 若くして勝連の按司となった阿麻和利(あまわり)は、人々から慕われ、海外貿易によってますます力を付けました。時の琉球国王・尚泰久(しょうたいきゅう)は、阿麻和利に驚異を持ち、自分の娘.百十踏揚(ももとふみあがり)を嫁がせます。しかし、阿麻和利は国王の重臣で中城城の護佐丸(ごさまる)を1458年に滅ぼし、さらに王権奪取をめざして首里城を攻めたが、大敗して滅びました。阿麻和利が滅ぼされたことによって、首里を中心とする中山の王権は一段と安定しました。阿麻和利や勝連城跡について、沖縄の古謡をまとめた「おもろさうし」には当時の繁栄ぶりを謡ったものがたくさん収められています。それを裏付けるように、勝連城跡からは中国製やその他東南アジアの陶磁器などが多量に出土しています。城は、四方に眺望のきく比較的傾斜の急な孤立丘を取り込んで築かれており、外敵をいち早く確認できることや、南側に良港を控えていることなど、極めて良好な立地をそなえています。 【感想】 下から見上げると言った感じの城です。四の郭も高い位置にあるのですがそこから三の郭は急峻な坂道で防御に優れていたことが分かります。一の郭からの眺望は絶景です。 |
登城日 | 2010年8月12日(木) | ||
LINK | 勝連城公式HP | |||
沖縄の世界遺産-勝連城 | ||||
勝連城-Wikipedia | ||||
城主家紋 | − | − |
【勝連城模型】 | 【勝連城全景】 | 【四の郭の石垣】 | |
【四の郭の発掘作業】 | 【四の郭から見た勝連城】 | 【門口のカー】 | |
【仲間ヌゥカー】 四の郭南西側にある井戸 |
【勝連城跡碑】 | 【三の郭南端部】 | |
【三の郭石垣】 | 【三の郭への登城道】 急峻な石畳の道であるが現在はその上に木製の階段が設置されており登場しやすくなっている。 |
【三の郭・門跡】 | |
【三の郭からみた一・二の郭】 | 【三の郭】 | 【三の郭石垣の修復作業風景】 | |
【二の郭】 | 【二の郭・舎殿跡】 | 【肝高の御獄】 | |
【ウシヌジガマ】 二の郭の北西側の洞穴。伝説では的に攻められ、危険なときに身を凌ぐ場所という意味があります。 |
【一の郭への登城道】 | 【一の郭への石段と門跡】 石造りのアーチ門があった。 |
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【一の郭からみる海中道路】 | 【一の郭】 | 【一の郭から見た二の郭・三の郭】 急峻な山なので四の郭が見えません。 |
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【玉ノミウチ御獄】 勝連城を守る霊石。 |
【一の郭から北東方面の眺望】 |
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