城名 今帰仁城(別名:北山城)
住所 〒905-0428
沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5101番地
入場時間 午前9時〜午後5時
年中無休
入場料
一般400円、小中学生300円
指定文化財 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に首里城跡が登録
国指定史跡
城郭構造 山城
天守構造 なし(正殿が天守に相当)
築城主 ?
築城年 13世紀頃
主な改修者
主な城主 北山王、第一尚氏
位置 北緯26度41分30.84秒
東経127度55分45.21秒
【沿革】
琉球に統一王国が成立する前には、北山、中山、南山と呼ぶ三つの小国家が並立し、それぞれが北山・中山・南山王を名乗り対抗した。中国はこれを指して「三山」と呼び、歴史上この時代を三山時代という。

今帰陣城を拠点に沖縄本島北部地域を支配したのが「北山(山北ともいう)」であり、最後の城主・攀安知(はんあんち)は腹心の大将・本部平原(もとぶてーはら)とともに、武力の強化・拡充に努め、周辺の按司達から大変恐れられた存在であった。
攀安知は最大のライバルの沖縄本島中部を拠点とする中山侵攻を計画していたが、攀安知を恐れる按司たちが、先んじて北山攻略を行うことを中山王に進言。中山王は息子・尚巴志(しょうはし)に北山攻略を命じた。尚巴志は、1416年に約3千人からなる連合軍を結集し今帰仁グスクを攻めた。当時の沖縄の人口は約8万人程度だったことから、連合軍の規模がいかに大きなものだったか想像できます。

しかし、天然の要塞である今帰仁城は難攻不落、連合軍の昼夜・三日間に渡る攻撃を撃退した。正攻法では攻略が難しいとみた尚巴志は、密使を送り攀安知の腹心・本部平原を説得。北山軍を城外の攻防におびき出すことに成功、北山全軍が城外で戦っている間に城内に侵入した。今帰仁城を攻落された北山軍は防御の全てを失い敗北したという。

北山王・攀安知は、守護神としていた霊石を斬りつけ、かえす刀で自害したという。その後今帰仁城には、中山王の親族から北山監守が派遣され、17世紀初め頃まで北山監守の居城として使用された。


【感想】
印象は岩ばかりの城という感じですが、他のグスクとは違いここは古生期石灰岩だけを使って築かれた沖縄唯一の城で雰囲気が他とは異なりました。
また大隅や志慶真門郭の石垣の曲線は非常にきれいにできており、中国の長城を思い浮かべます。
100名城
スタンプ
スタンプ
設置場所
今帰仁グスク交流センター・料金所窓口
登城日 2010年8月11日(水)
LINK 今帰仁城公式HP
今帰仁村役場HP-世界遺産・今帰陣城
今帰仁城-Wikipedia
城主家紋

                      

探訪
【今帰陣城模型】 【外郭】 【外郭】
【大隅の石垣】 【外郭】 【世界遺産碑】
【今帰陣城跡碑】 【平郎門】
左右に狭間があり、門の天井は大きな一枚岩を乗せた堅牢なつくりとなっています。
【平郎門内側】
【カーザフ
カーザフは、平郎門からはずれた右側のくぼ地になったところをいいます。ここは、一段と低い所でその両側は切り立った「谷底」になっています。この地名の語義は「川迫(さこ)」つまり、川の谷間として理解されています。露頭した岩盤に直接積んだ堅固な石積みは、かつて城壁として鉄壁をほこったものと想像することが出来ます。
【平郎門】 【大隅】
平郎門を通り抜けて、大庭に向かって左側部分を大隅と呼んでいます。現在蜜柑や桜が植栽され、城外に抜けられる洞穴もあり、面積はかなり広い郭の一つです。ここは、かつて「城兵達の武闘訓練の場」であったと想定されており、以前大量の馬の骨が発掘された場所です。
【登城道・七五三の階段】
平郎門から大庭まで続く参道は戦前に地元民によって桜の植栽とともに直線道に整備されます。戦後まもなく米軍の車両が城内へ登ることから、戦災文化財の修理として文化財保護委員会の指導のもと、今見る階段の整備が行われました。
【旧道】
嘗て平郎門と大庭を結んだ昔の道。現在では七五三の階段が出来たため歩く人も少なくなった。石敷きの曲がりくねった小道は敵からの侵入を防ぎ、あるいは時間稼ぎのため細く急な階段が築かれた。
【旧道】
大庭付近。
【大庭(うーみゃ)】
沖縄のグスクは正殿と呼ばれる主要な建物の前面に広い庭を持ち政治・宗教が執り行われる重要な場所として利用された。大庭は北殿跡やカラウカーなど建物跡・御獄が多く存在し、現在も祭祀が行われている重要な地区となっている。
【カラウカー】
大庭にある溜め井戸。
【ソイツギ御獄】
【御内原(ウーチバル)】
北殿跡の北側、一段高いところを御内原と呼んでいます。ここは、かつて「女官部屋」があったといわれているところです。城内でも崇高な場所とされ男子禁制の御嶽テンチジアマチジがあります。北端からの眺望は城内で最もよいところで、大隅一帯の石垣をはじめ今帰仁村全域、伊平屋・伊是名の島々、国頭の山並麓、晴れた日には遠く与論島が眺められ、海を眼下に見ることができます。
【御内原】 【御内原から見た大隅】
【御内原から見た北側斜面】 【テンチジアマチジ】 【テンチジアマチジの霊石】
北山王・攀安知が斬りつけた跡がある。(伝承)
【主郭】
大庭の東にある一段高くなった郭を主郭と呼んでいます。主郭には多くの礎石が現存し、桜の植樹のためか、一部移動させられている石もありますが、かつての建物の形がいくらか想像できます。1982年から4年間発掘調査が行われました。発掘調査の結果13世紀終わりころから17世紀初め頃まで機能していたことがわかりました。監守引き上げ以降は、火之神の祠が設置され、さらに来歴碑が建立され祭祀を行う場所として利用されています。発掘調査が完了し、現在のように整備されました。
【版築】 【主郭】
【火の神】
今帰仁城の主郭に火の神の祠があります。火の神は「ひぬかん」と呼びます。火の神を拝む方は絶えることがありません。火の神は現代沖縄の家庭にもあり、台所の一角に、香炉が置かれています。これに線香を立てて拝みます。
【主郭】 【志慶真門郭に続く門】
【志慶真門郭への道】 【志慶真門郭】
ここは俗に志慶真門と呼ばれる所で、城内で最も東に位置する郭です。志慶真門郭には4棟の建物跡があります。
【志慶真門郭よりみる主郭】
【志慶真門跡】 【志慶真門郭】 【今帰仁城跡鳥居】
戦前に沖縄各地のグスクが皇民化教育の一環として御獄やグスクが神社と同一化され、鳥居が建立された歴史がある。この鳥居もこのような歴史を伝える貴重な文化財である。
観光〜沖縄美ら海水族館〜
グルメ
ジャンル:沖縄そば
店名:そば屋よしこ
住所:沖縄県本部町字伊豆味2662
TEL:0980-47-5232
営業時間:10:00〜17:00
定休日:金曜日
品名:ソーキそば(大)

【感想】
今帰仁城へ行く手前にあるのですがこの近くにガイドブックにも載ってるお店もあるのですが観光タクシーのドライバーさん曰くこっちの方が地元の人が良く来て食べるところで美味しいんだけどねとのこと。
確かに中に入ると地元の方たちが多く、観光客は1組くらいでした。
ドライバーさんお勧めのソーキそばを頼むと見た目は脂っこいのかなと思わせますが、さっぱりとした味で地元の味といった感じでした。




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