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城名 吉野ヶ里遺跡
住所 〒842-0035
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
入場時間 6/1〜8/31:午前9時〜午後6時
それ以外:午前9時〜午後5時
休園日:12月31日、1月の第三月曜日とその翌日
入場料 一般400円、小中学生80円、65歳以上200円
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 環濠集落
天守構造 なし
築城主 ?
築城年 弥生時代
主な改修者
主な城主
位置 北緯33度23分9秒
東経130度19分38秒
地図 南内郭・王の家
北内郭・主祭殿
北墳墓
倉と市・市楼
逆茂木と環濠
100名城
スタンプ
【説明】
紀元前3世紀から紀元後3世紀までの弥生時代は、日本で稲作の文化が始まり、定住文化が根付いた日本の文化の原点ともいえる時代です。

弥生時代の遺跡の中でも吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼郡の旧神埼町・旧三田川町・旧東脊振村の3つの町村にまたがった我が国最大の遺跡。

弥生時代前期初頭に小規模な環壕集落が丘陵南端に形成され、前期には3ヘクタール、中期には推定20ヘクタール超、後期には40ヘクタールを超す大規模な環壕集落へと発展したことが判明し、後期後半には望楼を備えた環壕によって囲まれた特別な空間(北内郭・南内郭)の存在が確認されている。
北内郭は内部に中期の墳丘墓に南面する祭殿と目される大型建物を含む掘立柱建物跡が存在するなど、司祭者の居住・祭祀の場と考えられ、南内郭は高階層の人々の居住区と考えられる。南内郭西方に存在する大規模な高床倉庫と目される掘立柱建物跡は、その規模・構造から「市」の存在も推定されるなど、クニの中心集落へと発展した姿を読み取ることができる。また、前期末から大型甕棺墓が盛行するが、中期の600メートルに及ぶ長大な列状の集団墓地などとともに、歴代首長を埋葬したと考えられる大規模な墳丘墓が存在して、銅剣やガラス製管玉、絹布片などが出土し、階層分化と首長権確立のありさまを示している。

【感想】
城というより遺跡と言った方がしっくりくる。しかし、よくよく見れば環濠に囲まれた集落は城のはしりであり、物見櫓や櫓門があり、北内郭の入口には立派な枡形をなすような虎口がある。それらを見るとこの時代の城なんだと思えてくる。

スタンプ
設置場所
吉野ヶ里歴史公園東口
 登城日 2010年9月18日(土)
 LINK 吉野ヶ里歴史公園公式HP
吉野ヶ里遺跡-Wikipedia
城主家紋

                      

探訪
【北内郭の建物】
東口の天の浮橋より。
【外濠】
V字型に掘られた総延長約2.5kmの外濠が巡らされており(環濠)、囲まれている範囲は約20haにもなります。
【逆茂木】
外堀のすぐ内側に木の杭などを建て敵の侵入を防ぐ工夫がされています。
【櫓門】
櫓の上には四方に楯が置かれ、兵士が出入りする人達を見張っていた。
【南内郭】
吉野ヶ里の集落を始め、周りのムラムラを納めていた王やリーダー層の人々が住んでいた場所と考えられる。
周囲を環濠と城柵で囲まれ、敵を見張る物見櫓があり人々が住む竪穴式住居が中心であり、当時として極めて貴重な鉄製品が見つかっているため。
【環濠、城柵と物見櫓】
【物見櫓】
南内閣には四ヶ所に建てられ、兵士が四方に目を配りながら、集落に近づく人々を監視していたと考えられる。
【王の家】
南内郭北西部には柵などに囲まれた特別な空間があり、その中にあった竪穴式住居は、王の家をはじめ、その娘夫婦や妻の家であったと考えられる。
【集会所と広場】
【銅鐸
集会を行う際など人々を集めるときに鳴らしたと思われる。
【北内郭入口】
城で言う虎口は、鍵形に折れ曲がった構造をしています。こうした造りは古代中国の城郭都市に多くみられ吉野ヶ里が大きな影響を受けていたことを示しています。
【主祭殿】
吉野ヶ里のまつりごとを司る最重要施設です。ここでは指導者たちが重要な事柄を話し合ったり、最高司祭者が祖先の霊に祈りを捧げる儀式などが執り行われていたようです。
【主祭殿・二階内部】
吉野ヶ里のクニ全体の重要な会議が開かれる場所。
吉野ヶ里の王やリーダー達、更に周辺のムラムラの長が集まる。
【主祭殿・三階内部】
祖先の霊のお告げを聞く祈りを行う場所。ご神託の結果を二階に集まる王やリーダーに伝えます。
【斎堂】
主祭殿と東祭殿との間に位置することから、まつりの時に身を清めたり、まつりの儀式に使う道具などが置かれていた施設と推定しています。
【竪穴式住居(従者の住まい)】 【高床式住居(最高司祭の住まい)】
神聖な区域の中にあり、高床式倉庫とは違いほぼ正方形に近い形をしていることから、吉野ヶ里の最高司祭の住まいだったと考えられる。最高司祭は一般の人々の前には殆ど姿を現さなかったと考えられており、まさしくプライベートな空間だったと思われます。
【東祭殿】
北内郭の中心部である夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上にあることから、季節ごとのまつりの儀式が行われた施設と考えられています。また、何度も建て替えられた跡があることから、まつりなどが行われるたびに建て替えられたのかもしれません。
【北墳丘墓・立柱・祀堂・墓道】
北墳丘墓は歴代王の墓であり、西には壕を渡って走る墓道、南には祖先の霊が宿るとされる立柱と、歴代の王の祖先へお供えお祈りを捧げる祀堂があります。
ここは、吉野ヶ里集落を築き上げた祖先の霊を大切に祀る神聖な区域と考えられます。
【倉と市の中心部】
手前の建物は祀堂、秋の収穫のときなどに祭りをする建物で、前の広場に人々を集めます。
【兵士の詰所】
市の警備をする兵士は、ここで見回りの順番が来るのを待ちます。
【市楼】
ここで開催される市を管理する建物。下の階で市に参加する許可をもらいます。上の階には市の開催を知らせる旗と太鼓が置いてあり、兵士が見張っています。
【市楼二階の太鼓】 【環濠】




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