城名 佐賀城(別名:栄城、亀甲城、沈み城)
住所 〒840-0041
佐賀県佐賀市城内2-18-1
入場時間 佐賀城本丸歴史館
午前9時30分〜午後6時
休館日:12月29〜31日、臨時休館日ありHPを参照のこと。
入場料 無料(お客様の満足度に応じた募金をお願いしております。)
指定文化財 国の重要文化財:鯱の門及び続櫓
佐賀県史跡
佐賀県重要文化財:御座の間
城郭構造 輪郭梯郭複合式平城
天守構造 5層(非現存)
築城主 鍋島直茂、鍋島勝茂
築城年 慶長16(1611)年
主な改修者 鍋島氏
主な城主 鍋島氏
位置 北緯33度14分44.69秒
東経130度18分7.65秒
【説明】
鍋島36万石の居城の跡。佐賀城は、もともと佐賀を治めていた龍造寺氏の村中城を鍋島直茂、勝茂親子が拡張・整備したもので慶長16(1611)年に完成しました。

佐賀城は平地に築かれた平城で、本丸は東西70間(約126m)、南北68間(約122m)でその西北部に5層の天守閣があり、石垣の高さは5間(約9m)だったといわれています。周囲を幅80mにおよぶ濠と土手に囲まれ、土手に植えられた松や楠などの樹木で、城内を覗くことができないように工夫されていました。

たび重なる火災で焼失・再建を繰り返し、明治7(1874)年、江藤新平の起こした「佐賀の役」によって、一部の建物が破壊されますが、残った建物も年を経る毎に随時解体され、今では、本丸の門である鯱の門と続櫓と石垣を残すのみとなっています。

鯱の門壁は白壁で、棟の両端には名前の由来である青銅製の鯱が置かれています。どっしりと構えた門や扉には「佐賀の役」の弾痕が残り、当時の闘いの凄まじさを物語っています。なお、鯱の門と続櫓は国の重要文化財に指定されています。現在、城跡をとりまくお濠一帯は県立佐賀城公園となっています。

【感想】
天守を登る際に本丸に入っていないにも関わらず登れることに驚いたが、説明板を見て当初から二ノ丸から入ることになっていることが分かった。沈み城のいわれもわかり、よく考えられた城だということ、また本丸歴史館では、佐賀藩が成功した反射炉の説明やアームストロング砲の説明も分かり易く説明されていて良かった。
アームストロング砲の実物大模型は数年前に破損してしまった様で見れませんでした。

100名城
スタンプ
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設置場所
佐賀城本丸歴史館受付
登城日 2010年9月18日(土)
LINK 佐賀城本丸歴史館公式HP
さがの歴史・文化お宝帳
佐賀城-Wikipedia
城主家紋 【十二日足】
(藤原姓高木氏流)
龍造寺家家紋

  【杏葉】
(藤原姓少弐氏庶流)
鍋島家家紋

                      

探訪
【北側堀】 【本丸西側内堀跡】 【本丸西門】
本来はなく、以前本丸内に建てられていた赤松小学校の校門の様である。現在は佐賀城本丸歴史館の西門として使用されている。
【西側土塁石垣】
外面が石垣、内面は土塁になっている。
【西側土塁石垣】 【天守台】
【本丸石垣】
石垣のいたるところに刻印が見られる。
【天守虎口】
本丸からはこの天守台には上がれず、二ノ丸の西から本丸石累北の犬走りを通って入るようになっている変わった天守台。
【天守台】
【天守閣跡】
初代藩主鍋島勝茂の時代、慶長14年(1609)に完成した佐賀城の天守閣は5層の破風のない素朴ながらも実戦向きの建物であった。
佐賀城は、八反井樋と今宿江を堰き止めれば天守と本丸の一部を除き、外は城下はじめ、全体が湖水化する設計になっており、敵の侵入を阻む仕組みとなっていたといわれている。このため佐賀城を「沈み城」というのはこのことに由来する。
【天守台】 【鯱の門】(重文)
この鯱の門は本丸御殿を再建する際に建てられたもので、天保9年(1838)の6月に完成したものです。
明治7年(1874)の佐賀の役(佐賀の乱)で、佐賀城は戦火に見舞われました。鯱の門にはその時の弾痕が残り、当時の戦闘の激しさが偲ばれます。
門の構造は、二重二階の櫓門に、一重二階の続櫓を組み合わせたものです。
【鯱の門】 【佐賀の役のときの弾痕】 【鯱の門の番所】
【鯱の門】 【本丸御殿】(復元)
現在は佐賀城本丸歴史館として使用されている。
【本丸御殿と鯱の門】
【佐賀城本丸模型】 【外御書院】
一之間、二之間、三之間、四之間を合わせると320畳の大広間となります。
【御座の間】(県重文)
藩主鍋島直正の居室であったが、昭和33年(1858)に水ヶ江大木公園に南水館として移築された。その後本丸御殿を復元された際に、再度移築され元の位置に戻された。
【御座の間】
真ん中で6人のおばさんたちが輪になって井戸端会議していたのでまともな写真が撮れませんでした。
【南西隅櫓台】(復元)
石垣は亀甲乱積という手法で積まれている。
【南側堀】
佐賀城を囲む堀で幅40間(約70m)ある。
【本丸御殿】 【本丸南側土塁】 【石製樋管と赤石積水路】
西側土塁石垣の下を潜る水路と、これに続く赤石を用いた当時の水路。石の表面も精加工してある。




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