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城名 人吉城(別名:繊月城、三日月城)
住所 〒868-0051
熊本県人吉市麓町
入場時間 人吉歴史館
午前9時〜午後5時
休館日
毎月第二月曜日(当日が祝日の場合は翌日)
12月29日〜1月3日
入場料 一般:200円 高校生以下無料
指定文化財 国指定史跡
城郭構造 梯郭式平山城
天守構造 なし
築城主 相良長頼
築城年 元久年間(1204-1206年)
主な改修者 相良義陽、相良頼寛
主な城主 相良氏
位置 北緯32度12分39.9秒
東経130度45分59.37秒
地図 角櫓
大手門多門櫓
武者返し石垣
水の手門跡
御下門跡
100名城
スタンプ
【沿革】
鎌倉時代初期に源頼朝の命を受け、人吉庄の地頭として着任した遠江国相良庄出身とする相良氏初代の長頼が修築したと伝えられます。その時出土した三日月文様の石から「繊月城」とも呼ばれています。相良氏歴代の居城として明治4年(1871)の廃藩置県まで使用されますが、本格的な築城は12代当主為続の時代の文明2年(1470)頃とみられ、シラス台地の崖を天然の城壁とした城でした。天正17年(1589)、20代当主の長毎が石垣工事に着工し、寛永16年(1639)の21代頼寛の時に球磨川に面した石垣が完了し、その後に角櫓や多門櫓などの建築工事を経て、近世城郭としての人吉城が完成しました。
中世から近世、明治初頭までの長い期間、一つの武家の居城として存続した城郭は人吉城の外に例がありません。

【感想】
胸川と球磨川の合流点から見る角櫓はとても趣があり、川のせせらぎと共に何とも言えない空間を演出してくれます。是非河原に降りて近くまで行って見て欲しいです。
また川の手の方に向かうと全国でも珍しい武者返しの石垣を見ることができます。ただ裏からは見ない方がいいですよ。きっとがっかりするから。
山城に登ると三ノ丸西部・上段からの眺望は、人吉市内を見渡せるので最高です。二ノ丸は逆に木が多く三ノ丸で感じた陽射しを遮り心地の良い空間となています。


スタンプ
設置場所
人吉城歴史館
 登城日 2010年9月21日(火)
LINK 人吉城-Wikipedia
城主家紋 【長剣梅鉢】
(藤原南家為憲流)
相良家家紋
【六つ瓜に七つ引】
(藤原南家為憲流)
相良家家紋

                      

探訪
【角櫓・長塀・多聞櫓】
胸川と球磨川の合流点、人吉城の西側に位置します。西北の角にあるのが角櫓です。
【角櫓・長塀・多聞櫓】 【角櫓・長塀】
【大手門多聞櫓】
大手門の脇を固めるに造られた長屋形式の櫓である。建物は、間口40m×奥行4m、瓦葺きの入母屋造り。壁は上部を漆喰塗りとして窓をつけ、下部は板壁としている。
【大手門跡】 【大手門櫓跡】
胸川御門とも呼ばれた大手門は、城の正面入り口となる重要な場所であったので石垣の上に櫓を渡して下に門を設けた。さらに門前の通路は鍵形にして枡形に造り、また、門の北側には多門櫓を建てて、外濠となる胸川の対岸に大手橋を架けて防御している。門内には番所を置いて監視させている。
【大手門多門櫓】 【長塀石落とし】
長塀の2ヶ所に存在していた。
【軍役蔵跡】
角櫓の南に位置するこの場所は、「軍役蔵」と「買物所」の一部に当たる。この施設が具体的にどのようなものであったのか、はっきりしていない。
【角櫓】
角櫓は胸川が球磨川に合流する人吉城北西隅の要所に建てられた櫓である。元は藩の重臣の相良清兵衛頼兄の屋h敷地にあったが、寛永17年(1640)の「御下の乱」で屋敷が焼け、その直後に櫓を建てられている。幕末には漆蔵として使用された。
【後口馬場跡】 【後口馬場の井戸跡】
直径1.7mの円礫積みの円形井戸。
実力者相良清兵衛屋敷の門前付近の道路上にあり、清兵衛との係わりが強い公衆用の井戸であると推定される。
【城山全景】
西外曲輪より撮影。
【相良(犬童)清兵衛屋敷跡】
現在はこの場所に人吉歴史館が建ち、人吉城の歴史や地下遺構が見られる。
【地下遺構】
地下遺構は清兵衛屋敷の他、内蔵助屋敷に見られる。井戸の様な遺構で本丸護摩堂の湯殿と同様の行水施設と推定される。
【下台所跡・犬童市衛門屋敷跡】
【屋敷跡・穴蔵跡】 【大台所跡・御厩跡】
【大井戸遺構】
相良内蔵助屋敷の地下遺構。
【武者返しの石垣】
御館北辺の石垣上には当初長櫓があった、文久2年(1862)の寅助火事で焼失した。翌年、櫓は復旧されず、代りに石垣を高くして、その上端に槹出工法による「武者返し」と呼ばれる突出部をつけた。
この工法は、西洋の築城技術で、嘉永6年(1853)に品川台場で初めて導入され、五稜郭や龍岡城等の西洋式城郭で採用されており、旧来の城郭で採用されたのは人吉城のみである。
【間米蔵跡】
水ノ手門西側にあった間村の年貢米を納めたと考えられる蔵です。北側には米を計算するための「斗屋」などの小さな付属屋がつき、南端には雨落しの溝が付属しています。
【水の手門跡】
人吉城内に入る四ヶ所の門の内の一つである。球磨川に面する水運のための門であったことからこの名がつけられた。
【水の手門跡】
石垣上にある土塀は水の手門まで作られたが、ここより上流は寛文元年(1661)に竹を植えて塀の代わりとしている。
【堀合門】
城主の住む御館の北側入口に置かれた門。
【城主の御館跡】 【人吉城跡碑】 【御下門石垣】
【御下門跡】 【御下門跡】 【御下門跡】
【三ノ丸西部下段】 【於津賀社跡】
初代相良長頼の入国前の人吉城主であった平氏の代官の矢瀬主馬祐を祀る霊社跡。
【三ノ丸・西部下段】
三ノ丸の北部は二段に分かれています。
於津賀社跡より撮影。
【三ノ丸・西部上段】
こちらが上の段になります。この横には塩蔵が建っていた。
【於津賀社跡】
三ノ丸上の段より撮影。
【二ノ丸虎口】
【三ノ丸井戸跡】 【三ノ丸・北部】 【中御門跡】
本丸、二ノ丸へ登るための唯一の門で櫓門となっていた。
【中御門跡】 【中御門跡】 【二ノ丸】
江戸時代初期、「御本丸」と呼ばれて、城主の住む御殿が建てられ人吉城の中心となった場所。
【二ノ丸・井戸跡】 【本丸への登城路】 【本丸】
天守はなく、その代わりに護摩堂が建てられた。
観光〜国宝・青井阿蘇神社〜




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