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城名 鹿児島城(別名:鶴丸城)
住所 〒892-0853
鹿児島県鹿児島市城山町7番2号
入場時間 黎明館
午前9時〜午後5時(入館は4時30分まで)
休館日
毎週月曜(休日のときは翌日)
毎月25日(土日除く)
年末12月31〜1月2日
※休館日にはスタンプは押せないので注意!
入場料
一般300円(230円)
高・大学生190円(120円)
小・中学生120円(60円)
()内は20名以上の場合
指定文化財 鹿児島県史跡
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 島津家久
築城年 慶長7年(1602年)
主な改修者 島津良貴
主な城主 島津氏
位置 北緯31度35分53.7秒
東経130度33分15.89秒
地図 大手門(御楼門)跡
城山
本丸跡(黎明館)
二ノ丸(私学校)跡
銃弾跡
100名城
スタンプ
【沿革】
城山は、南北朝時代には上山城という上山氏の居城であったが、後に島津氏に明け渡され、上山氏は桜島に移っている。その後、島津氏は城山の東麓に屋形を築いて居城とした。麓の屋形(本丸・二ノ丸・出丸)には石垣が築かれたが天守などの高層建築や高石垣は築かれなかった。これは江戸幕府に対する恭順の意味があったとされる。その代わりに、島津氏は中世式の山城を各地に残し、113区画をそれぞれ家臣に守らせる外城制度を行っていたとされる。

関ヶ原合戦において西軍に付いた島津氏は義弘に変わって、家久が新当主になり、徳川家康の脅威に対抗する手段として、当時の内城に変わる城として鶴丸城を築いた。しかし、この城は海岸に近く、この地は防御に問題があると父の義弘に反対されていた。しかし、家康の薩摩征伐は実施されることなく、薩摩藩は外様大名として存続を許され家久の代に鶴丸城が実戦で用いられることはなかった。

しかし、それから数百年後幕末の薩英戦争時に義弘の懸念が現実のものとなり、イギリス軍艦から艦砲射撃を受け奥御殿に砲弾を何発か撃ち込まれている。



【感想】
見る場所は大手門(御楼門)の石垣と隅落としがある石垣のみと言ってよい。戦国期の島津氏が好きな人には正直がっかりする城です。
幕末が好きな人は黎明館と周囲の史跡を見て周ると良いでしょう。
西郷隆盛関連の史跡もそばにあります。ただ徒歩で行くと看板がないので注意しましょう。間違ってもトンネルを越えてはいけません。道に迷います。


スタンプ
設置場所
黎明館受付(休館日に注意)
 登城日 2010年9月22日(火)
 LINK 鹿児島県-黎明館HP
鹿児島城-Wikipedia
城主家紋 【丸に十字】
(惟宗流/源頼朝落胤説も)
島津家家紋

                      

探訪
【城山】 【大手門(御楼門)跡】
大手門(御楼門)枡形】
【大手門(御楼門)石垣】
いたるところに砲弾の跡が残る。
【大手門(御楼門)枡形】 【大手門(御楼門)枡形】
【大手門(御楼門)枡形】 【北御門跡】
本丸には現在黎明館が建っている。
【本丸北東隅】
鬼門除けのため石垣の隅が落とされている。
【出丸跡】
西郷隆盛の私学校の跡地にもなる。現在は九州循環器病センターが建っている。
【西南戦争の銃弾跡】
私学校跡の石垣に残る。
【西南戦争の銃弾跡】
【薩摩義士碑】
濃尾平野の水害に対して幕府の命で治水工事に携わり亡くなった人たちを義士として祀った。
【西郷隆盛洞窟】
西南戦争のときに西郷隆盛が身を隠していた洞窟。
【西郷隆盛終焉の地】
洞窟から抜け出し、逃げる途中流れ弾を腰に受け、ここまできて、別府の介錯を受けて49歳の生涯を閉じた。
グルメ
ジャンル:ラーメン
店名:ざぼん
住所:鹿児島県鹿児島市武1-2-1
TEL:099-255-9395
営業時間:?
定休日:?
品名:ざぼんらーめん

【感想】
鹿児島付いたのが遅く、とにかくお腹が減ったので鹿児島ラーメンでもと思ったら駅ビルにありました。駅ビルがリニューアルされ新しい店舗とのこと。ざぼんラーメン自体は老舗らしいです。
豚骨ベースですが、野菜も多くそれほどくどくはありませんでした。また、食べ放題の大根の漬物で口をさっぱりすることもできるので良かったです。
ジャンル:駅弁
品名:黒豚弁当
価格:650円
購入場所:鹿児島中央駅売店

こだわり:
「鹿児島名産の黒豚」の脂身の少ないところを使用し、独自に調合した麹味噌ベースのタレに漬け込み、焼き上げた一品。ご飯も、鹿児島県産の「ひのひかり」を使用するなどのこだわりをみせています。

【感想】
この価格で、このボリューム。そして黒豚が堪能で来て大満足の駅弁でした。




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